diary

“Quem deseja ver o arco-íris, precisa aprender a gostar da chuva.” @pyi46

『脱退』

 

平手友梨奈が脱退を発表した。卒業と脱退の違いに色々な憶測が飛び交ったが、直後に出た記事には「本人の強い希望」と書かれていた。

 

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保険のような前置きになりますが、僕は欅坂46の事をよく知りません。音楽番組とMVで表題曲を聞くのと時々けやかけを見るくらいで、インタビュー記事を読んだりラジオを聞いたりライブを見たこともないです。だから本当に欅坂を上っ面しか知らないにわか中のにわかが個人の感想を書くだけですので、それだけはご了承して頂けたら幸いです。

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アイドル、ましてや結成したてのこれから売り出していくアイドルのデビュー曲として、サイレントマジョリティーは異色を放っていた。明るくキラキラと可愛さを主張した曲とは真逆で、少女達が生きていく葛藤を訴えかける。その中でもセンターの彼女の存在感は圧倒的だった。決して笑わず「大人たちに支配されるな」とカメラを睨みつけていた。

 

もし彼女に欅坂46の平手友梨奈になった瞬間があったのだとしたらそれはいつなんだろうと、彼女のパフォーマンスを見てるとしばしばそう思うことがあった。

そしてそれは本当の平手友梨奈なのかなとも考えた。

乃木坂に憧れて、生駒里奈に憧れて、彼女みたいなアイドルになりたいとオーディションを受け、合格して、なにがなにやらわからないままセンターになり、初めて歌う曲の中で「One of themに成り下がるな」と、マイノリティを求められた。

 

素人目での感想になるが、彼女は演技派というよりも憑依型だなと思う。役を演じるのではなく、役になりきる。だからこそ、見ていて惹かれるし胸を打つ。

15歳の少女がセンターに立ち「大人たちに支配されるな」と、自分らしく生きろと説く。その役に憑依する。

そして不協和音では自分の意志を貫けと、そのためには嫌われても構わないと叫び、ガラスを割れでは自分の自由のためには目の前にある障害は自分の拳でこじあけていけと叫ぶ。

10代の少女が憑依し役になりきって自由を訴えかけることは、同年代の若者の心には響くのかもしれない。

 

だけどこれは大きな矛盾だなと僕は思う。何故なら10代の少女にはまだ「自分」が確立してないのだから。まだ自分が出来てない中で「自分らしく生きろ」と叫び、そのためには嫌われたって構わない、目の前の障害はぶち破れと叫ぶ。

結果、それが「自分らしさ」になってしまったのじゃないのかなと。

彼女は憑依型だと思う。だから、彼女が矢面に立って自由を若者に訴えかけることで、彼女自身がその象徴になっていってしまったのじゃないのかなと、彼女のパフォーマンスを見ているとそう思う。

そう思うほどに、欅坂46の平手友梨奈は本当の彼女ではないんじゃないのかなと思ってしまう。

 

自己形成に周囲の環境は必要不可欠なものだと思う。

自分を主張することも見失わないことも勿論大事だし、自分らしく生きることも勿論大事なことだ。だけどそれは大人に反抗することとは違うし、仲間を作らないこととも違う。大人の言うことを自分の中で咀嚼して大事だと思うことは取り入れる。仲間を大切にする中で自分らしさを見失わないようにする。10代の少女は本来はそうであるべきだと思う。

だけどそんな歌はつまらないし心には響かない。

インパクトを重視し、若者の心に響く曲を作り、それを若者の代弁者として歌っていった結果、本当に大切なことを失くしたまま彼女の「自分らしさ」が完成してしまったのではないのかなと、彼女のパフォーマンスを見てるとそんな印象を受ける。

 

乃木坂と欅坂は楽曲が正反対だなと思う。

夢や希望を歌う乃木坂に対して現実をつきつけてくる欅坂。

仲間を想い涙を零すほどに影響される乃木坂に対して仲間の中にいても自分の意志を貫かせる欅坂。

 

もし彼女が欅坂46の平手友梨奈じゃなかったら、今とは違う彼女になっていたのかなと、そんな風にも考える。そう考えると、アイドルを利用する大人も、そしてそれを楽しむファンも残酷だなと思う。

 

サイレントマジョリティーで自分らしく生きていくことを主張し、不協和音でそのためなら嫌われても構わないと主張し、ガラスを割れで自由を邪魔するものはぶち壊していけと主張してきたことで、自分自身が黒い羊となり、結果的に本当の自分らしさを見失うことに繋がってしまったのだとしたら、それは彼女自身が一番大人に支配されてしまっていたということであり、皮肉な結末だなと思う。

 

 

 

『脱退』について、最上もがさんが持論をツイートしていた。

「卒業と脱退の違いの話で、ぼくは“脱退”、ねむは“卒業”したけれど、続けたくても身体的にも精神的にも限界だったために、抜けざるを得ないという選択を自らしたので、どうしても卒業という表現ができなかった。ねむはちゃんと今後のことを見据えて決めていた、の違いかなって」

 

彼女が欅坂を辞める決意をした理由はいずれどこかで彼女自身が話すだろう。ただ、何故彼女は脱退に拘ったのかが気になった。

僕は彼女は誠実な人だと思う。何を持って誠実と言うかの捉え方はそれぞれなので、そうではないと言う人もいるかもしれない。だけど彼女のパフォーマンスからは努力と練習量が伝わってくるし、歌詞を深く自分に落とし込んでいるであろう背景も伝わってくる。そうじゃなければ多くの人を惹きつけるパフォーマンスは出来ない。だから僕は彼女は自分の信念に対してはとても誠実な人だと思う。

そんな彼女が卒業ではなく『脱退』を強く希望した。そこにはしっかりとした理由があるんだろうなと思った。

 

卒業に比べ脱退はネガティブな印象を受ける。

この形で辞めることに納得してないのか、或いは辞めることに対して強い意志を持っているのか。どちらにせよ、欅坂か、或いは欅坂にいた自分自身と強く決別したい、そんな心情を感じてしまう。

 

常にセンターを務め、欅坂を平手坂と揶揄され、期待、妬み、好奇の目を全て受け止める重圧から解放されたくなったのか、自分の存在が欅坂のメンバーにマイナスになってると感じたのか、或いは欅坂46平手友梨奈でいることに疲れたのか。理由は分からないけど、「良い決別」ではないんじゃないのかと勘ぐってしまう。

 

欅坂の平手友梨奈として彼女にしか出来ないパフォーマンスで多くの人を魅了し、感動や勇気や力を与えてきた筈の彼女が、納得の出来ない決別を選んでいたのだとしたら、それはとても悲しいことだなと思う。

 

今後のソロ活動で、彼女がどんな道を歩もうとしてるのかは分からない。今までの平手友梨奈を更に進化させていくのかのしれない。それは勿論素晴らしいことだと思う。

だけどもし欅坂46平手友梨奈を本当の自分ではないと感じているなら、本当の自分らしさを見つけていって欲しいなと思う。

 

 

君は君らしく生きていく自由があるんだから。