「否定しない」ということ。
否定しないというのはとても難しい。
人は自分のことすら簡単に否定してしまうから。
例えばテスト、試験、試合…学校でも会社でも、新しい何かを始めなければいけない時に、多くの人は「駄目だ」「出来ない」「大変だ」という思考になる。勿論「大丈夫」「絶対に出来る」という風に考える人もいるけど、その自信が持てるのはその裏に沢山の努力や練習があるからこそ。逆に言えば自分自身を肯定するためにはそれだけの練習量が必要だし、それだけ練習をしてもまだ自分を否定してしまう人もいる。
どうして否定しないというのは難しいことなのかなと考えてみた。
これは日本人の性質もあるかもしれないけど、人はどんなものでもどんなことでも、何かをフラットな目線で見た時に、その物事の「悪いところ」は簡単に見つけられるのに「良いところ」を見つけるのは難しいからなのかなと思った。
人が新しいものになかなか食指が動かなかったり、時には初見から嫌悪感すら感じてしまうのも、そのものに対しての悪いことが先に見えてしまうからなんだと思う。
スルメ曲という言葉がある。最初はいまいちだと思っていた曲が何度も聞いてる内に曲の良さに気が付いて好きになっていくという意味だ。
これもまさにそうゆうことなんだろうなと思う。
最初は悪いところが見えて好きになれない。だけど聞いてるうちに良いところが見えてきて、好きになっていく。
悪いところを見つけるのは一度目。良いところを見つけるには何度も。
それだけどんな物事でも良いところを見つけるのは難しいってことなんだと思う。
「+1」と「-1」は同じ「1」でもその質量は全然違う。
イメージでは単行本と広辞苑くらい違う。缶コーヒーと2ℓのペットボトルくらい違う。
最近SNSでの誹謗中傷が原因で自殺をするニュースをよく目にする。
100の肯定的な発言があっても、1の否定的な発言がその人の心を苦しめる。
僕もフォロワーに魅力的なツイートをする人がいるけど、それ故に拡散されて多くの人の目に止まり、結果批判的なことも言われて心を痛めてしまってることもあった。
それだけ+1に比べて-1の質量は重い。
質量が重いからこそ見つけやすい。分かりやすい。
少し前にこんなツイートをした。
『自分の好きなものの魅力を人に伝えるのって結構な労力だと思う。自分が楽しむだけの分には必要の無いことを、労力を使ってどれだけ魅力的なのかを伝えようとしてくれてる人、そーゆーツイートをしてる人を僕は好き。』
これも-1に比べて+1の質量は軽くて伝えるのが大変だと思ってるところから出た発言だ。
好きなものを好きというのは簡単だ。だけど、どこがどう好きなのかを相手に伝えるのはとても難しいことだと思う。
逆に嫌いなものは伝えるのが簡単だ。簡単な方に逃げて批判をする存在だと思ってるから、僕はアンチを稚拙だと思うし好きではない。
少し話がそれた。時を戻そう。
だから、僕は否定しないというのはとても難しいことだと思う。
ーーーーーーー
もしあなたが誰かから相談を受けたらどう返すだろうか。
例えばダンス部に通ってる学生から「創作ダンスが上手く出来ない。人前に立つと緊張して上手く力が発揮できない」と言われたら。
その人が自分にとって大切な人だとしたら。
その人が大切な存在であればあるほど、その悩みを解決してあげたいと考えると思う。
どうすれば上手く出来るか。どうすれば緊張せずに出来るかと考えると思う。
僕もそうするだろうなと思った。
僕は最近Bishってグループが好きでずっと過去を追ってるんだけど、この悩みはBishのメンバーがラジオの中で実際にリスナーから受けた相談だ。
アイナはラジオの中で彼女の悩みに対して「上手く出来ない感情もダンスで表現できればいい」といい、「緊張出来る人生ってなかなかない。その緊張も楽しめればいい」と答えた。
なんて素敵な答えなんだろうと思った。
相談を受けると、その悩みを解決したいと考える。悩みを解決するために、こうすればいい、ここをなおせばいいとアドバイスをしようとする。
だけど、改善策を提示するのは大局的にみるとその人の今までの人生を「否定している」ことになるんだなと、このラジオを聞きながらそう思った。
悩みを解決するために何かをすればいいと言うのは、その人がそれを今までしてこなかったことを否定しているとも言える。
アイナは彼女を「否定しなかった」
緊張してしまうと悩む彼女に、緊張しない為にどうするのかではなく、緊張することを楽しめればいいと答えた。しかもただ否定しないだけじゃない。言葉の中に彼女が納得できるだけの説得力を持たせた。これが一番凄いことだと思った。
アイナは彼女が納得出来るだけの言葉を使って、全力で彼女の人生を肯定した。
僕はますます彼女が好きになった。
ーーーーーーー
欅ってかけない?の番組の中で、大園玲が澤部の悩みを解決すると提案した。
澤部が「優柔不断な自分をどうにかしたい」と悩みを相談すると、彼女は澤部に「直さなくていいと思います」と返した。戸惑う澤部に対して続けて彼女はこう続けた。
「芸人さんという道を選ばれたり、奥さんとご結婚されていたり、人生において重要な場面ではきちんと決断されているので、日常生活の小さなことで迷ってしまう自分を責めずに、選択肢にあふれている人生を楽しんでください」
なんて素敵な答えなんだろうと思った。
彼女もアイナと同じで、澤部の人生を決して否定しなかった。
その答えも凄く好きだった。澤部の人生を肯定した上に、「選択肢にあふれている人生を楽しんでださい」と付け加えた。
澤部の悩みを否定せずに解決した上に、やさしさで背中を後押しした。
僕は彼女が好きになった。
ーーーーーーー
否定しないといえば最近ぺこぱが否定しない突っ込みで世間を騒がせた。
突っ込みというのは職業柄「否定する」のが仕事みたいなものだと思う。
ボケに対して「間違ってるよ」ということを観客に分かりやすく伝えることで笑いを生む。間違いを正すというのはそのボケを否定していることとも言えるかもしれない。
だからぺこぱの否定しない突っ込みというのは新しくてそれが面白い。
それに対してオードリーの若林がラジオでコメントをしていた。
(若林正恭)いやなんか、うん。言うならば、多様性とツッコミって相性が悪いと思うのよ。何か常識が強い時代の方がツッコミって強いけど……なんか多様性とツッコミって食い合わせが悪いから。「そんなことができるのか!」っていうか、そういう思いがまずびっくりしたのがあって。要するにツッコミって指摘とか否定だったりとか。「非常識ですよ」って言うことなんだと思うんだけど。そういうことって「多様性を飲み込む、受け入れる」ということに対してめちゃ相性が悪いと思うのね。
(春日俊彰)うんうん。
(若林正恭)で、じゃあどうしたのか?って言ったら、その1回ツッコミしかけるじゃん。ツッコミをしかけた後で飲み込むっていう。そこの1個のツッコミの中でフリと……まあ緊張と緩和を使い分けると、こんなに伝わるんだっていう。まあ、あとキャラも込みでね、全肯定をするような。で、そしたら俺、「この子はめちゃくちゃ優しい子なんだろうな」って思った瞬間にボロボロ涙が出て来て。で、爆笑してんだけど、もう泣いちゃって。
僕はオードリーとアイドルって滅茶苦茶相性がいいと思っていて、その理由がこれなんだけどこれは前にフォロワーとDMでやり取りした中の一文。
若林はぺこぱの漫才で泣いたと言っていたけど、若林もぺこぱと似てる部分はあると思う。だからこそ悩んでいたところもあるんだと思う。
だから僕はオードリーが好き。
ーーーーーー
これまでずっと否定しないことについて語ってきた。
誤解して欲しくないのは、僕は決してそれが正しいと言ってる訳ではない。
テストや試験に向けて「駄目だ」「出来ない」と自分自身を否定しても、それを糧に努力をする人もいると思う。悩みに対して新しいアドバイスをするのも優しさだし、その方がその人にとっていいってこともあると思う。
ただ…
ーーーーーー
僕のブログの中ではもう何度も登場させて申し訳ないんだけど、「やさしさとは」にこんな歌詞がある。
やさしさとは何なんだろう?君を慰めることか
あるいは涙の理由を何も聞かないことか
涙してる人に対して、その涙を止めようと慰めることはそれもまたその涙を「否定している」と言えるかもしれない。
決してそれを間違っているとは言わない。
ただ…
3期生が初めて参加した
飛鳥ちゃんは舞台裏で泣きじゃくる桃子を爆笑しながら抱きしめた。
2人とも決して彼女の涙を否定しなかった。
否定しないことが正しいとは言わない。
ただ、僕はそうゆう人が好きみたいだ。
だから僕は
卒業生は白石麻衣推しだし
乃木坂は齋藤飛鳥推し
櫻坂は大園玲推しで
日向坂は若林正恭推しです。