diary

“Quem deseja ver o arco-íris, precisa aprender a gostar da chuva.” @pyi46

移ろいゆく季節のなかで

 

僕が乃木坂を知ったのは何度目の青空かの頃。

厳密にいえば存在は知ってたけど初めて立ち止まって乃木坂を見たのがこの頃。

この頃自分の人生の中でとてもしんどいことがあって、この曲に少しだけ救われた。それで興味を持っていくちゃんの過去動画を追いかけてた。

この時飛鳥ちゃんはアンダーで、存在は知らない。

飛鳥ちゃんを知ったのは次の曲の命は美しい。

可愛い子だな、どうしてこんなに可愛いのに選抜じゃなかったんだろうなと思ったのを今でも覚えてる。

推しという概念で考えるなら、飛鳥ちゃん推しになったのは太陽ノックを挟んでその次の今、話したい誰かがいる

この曲で初めて福神になって、はしっこでシーソーをしてる姿が可愛くて、凄く印象的だった。

 

僕は推し活というほどのことをほとんどしてないし、オタクと言うのはおこがましい部分もあると思っているけど、もし推しと言わせてもらうなら、この時から今まで、一度もぶれずに飛鳥ちゃん推しだった。

 

オタクに限らず人はドキュメンタリーを好む傾向にあると思う。それは表舞台で活躍する人、物、作品。その裏側を知れた方がよりその作品を好きになれるからだと思う。

 

僕が飛鳥ちゃんを好きになってから、飛鳥ちゃんは色々な経験をして、その多くの部分をファンにも見せてくれた。

初めて福神になって、初めてセンターになって、初めてソロ曲をもらって。

舞台に立って、ドラマに出て、映画に出て。

大好きな人達が卒業を発表して、乃木坂から離れて。新しく後輩が出来て、上手くいかなくて悩んで、後輩を抱きしめて、そばにいるようになって。

 

僕は齋藤飛鳥の中に物語を見ていたんだと思う。

齋藤飛鳥を通じて観る物語が好きだったんだと思う。

 

思春期から大人へ。多感な年齢の11年。色々なものが、ことが変化していく。

価値観も変われば考え方も変わる。乃木坂での活動への比重や向き合い方も変わる。

その変化すら、とても魅力的だと思えた。

 

飛鳥ちゃんの言葉の一言一言に物語を感じた。

ダンス、仕草、表情に物語を感じた。

後輩との接し方に物語を感じた。

そしてその物語は、乃木坂によって構成されていた。

 

乃木どこが始まった頃、各メンバーが誕生月を迎えた時に一人一人をフューチャーする「乃木どこ生誕祭」というコーナーがあった。

飛鳥ちゃんはその生誕祭の時に、「乃木坂に入って尊敬するメンバーが出来た。それは乃木坂46のメンバーのみんな」と言っていた。

多分飛鳥ちゃんは尊敬する同期のお姉さんメンバーの背中を見ながら、吸収しながら成長してきたんだろうなと思う。

飛鳥ちゃんの人格形成にも大きく影響を与えてるんだろうなと思う。

 

だから飛鳥ちゃんの言葉には乃木坂を感じるし、それが好きだった。

飛鳥ちゃんが時々考えさせられるようなことを言ったら、その背景には乃木坂での出来事が思い浮かぶし、時にはメンバーが思い浮かぶ。それが好きだった。

 

 

飛鳥ちゃんの11年は、変化と向き合う11年だったのかなとも思う。

飛鳥ちゃんが人と深くかかわらないのは、いつかその人が去ることを何度も経験してきた一面もあるんじゃないかなと思う。

憶測でしかないけど、誰よりも変化を嫌って、誰よりも変化を受け入れてきた子なのかもしれないと思ってる。

 

沢山ある飛鳥ちゃんのエピソードの中で僕が一番好きなのは、工事中での「一人を目指せ」というメンバーがそれぞれ一人になるであろう質問をして、トータライザーを使って答えるって企画。

飛鳥ちゃんの質問は

 

「憧れのメンバーが一回も変わってない」

 

だった。

 

凄く飛鳥ちゃんらしいなと思った。

一人を目指すのが目的だから、一人にしかならないような質問をしなきゃいけない。

表向きはどうせ一人くらいしかいないんでしょって、実際そう思ってるかもしれないけど、だけど多分飛鳥ちゃんは心の奥底ではこの質問の答えが複数人いたらいいなってことを望んでるんだろうなって。実際に答えが7人と出た時の飛鳥ちゃんは少し嬉しそうに見えた。

 

人の心は季節のように変わっていく。それは理解して、受け入れてる。

だけどどこかで変わらないものを望んでいる。

不安からくるものなのかもしれない。安心したいからなのかもしれない。

もしこれが大切な人が去っていく悲しい経験から培われた価値観だとしたらそれを好きだと言ってしまうのは良くないことなのかもしれない。

だけどそんな価値観と抗いながら同期と接し、後輩と接してるのかなと思ったら尚更愛しく思えた。

バレンタイン企画の時、さくちゃんに「卒業生含め」と言う必要がない言葉までぽろっと出てしまったところに、愛しさを感じた。

 

 

11年間、飛鳥ちゃんはファンに色々なものを見せてくれた。

だけどそれは想像できないほどの負担でもあったんだろうなと思う。

 

だから卒業は凄く寂しいけど、感謝しかないなとも思ってる。

 

これからどんな活動をしていくのかは分からないし、表舞台で見ることはなくなってしまうのかもしれない。

ただ、移ろいゆく季節の中で、これからの飛鳥ちゃんの人生に、決して変わらないものが沢山手に入るといいなって思っています。