diary

“Quem deseja ver o arco-íris, precisa aprender a gostar da chuva.” @pyi46

「いつのまにか、ここにいる」を見て。

 

最近、あなたの番ですを見るのにはまってます。

最初は確か半分なぁちゃん目的で評判も高かったから見始めたんですが、ドラマ自体が凄く面白くて、今ではすっかりドラマを楽しむために見ています。ドラマにのめり込んでいくとわかるんですけど、なぁちゃんをなぁちゃんとして見てないんですよね。ちゃんと西野七瀬が演じてる黒島沙和として見ています。そこにはもうアイドルの西野七瀬はいなくて、女優西野七瀬が成立しているんだなぁと感じて、そう思った時に凄く寂しさを感じました。

AKBからアイドルを見てるからなのかもしれませんが、僕の中のアイドル像は「一人じゃまだ芸能の道で生きてくのが難しい子たちが、密接に応援してくれるファンの力を借りて色々な経験を積んで芸能界で生きていくために力をつけてく」

いわば「芸能界の予備校」みたいなものってイメージを持っています。

 

だけど今の乃木坂46には、まいやん、いくちゃんを筆頭に卒業しても各々が目指す芸能の道で活躍出来る人が沢山いると思います。

それは言い方を変えれば、彼女達にはもう乃木坂は必要ないってこと。もし今すぐ卒業しても、ちゃんとその道で認められて活躍することが出来る。なぁちゃんが女優として成立してるのを見ると、他の乃木坂ちゃんもきっとそうなんだろうなぁと思ってしまって、それは彼女達の事を考えると素晴らしいことなんだろうけど、オタクの目線から見ると凄く寂しいことだなぁと、最近、そんな感情を抱いていました。

 

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先日、「いつのまにか、ここにいる」を見てきました。

ここからは映画のネタバレを多大に含んでいくことになると思います。

まだ映画を見てなくてネタバレが嫌な方はお手数ですが戻るボタンを押してください。

 

映画に出てくるのは主に今までの乃木坂を作ってきた一期生と、未来を感じさせる三期生になっていました。

前回のドキュメンタリー「悲しみの忘れ方」が少女たちの成長を描いた作品だとしたら、今回の映画はすでに成長してる段階からの、少女たちのこれからを描いた作品になってるなと思いました。

 

冒頭で監督の言葉がテロップとして流れます。うろ覚えですが、『アイドルを全く知らない僕が、乃木坂のドキュメンタリーを撮ることになった』みたいなことを言っていました。その言葉通り、アイドルを知らない人が、乃木坂46というグループに出会い、密着していく中で感じたことをそのまま映像化したんだなぁと、そんな印象を受けました。何故なら、この監督は恐らく見る側のオタクがどんな生き物なのかをあまり認識してないなと。オタクがアイドルにどれだけの情熱を注いでるのかをあまり考えてないなと。それくらい出てくるメンバーが無配慮に偏っているなと感じました。

実際、監督はパンフレットの中で映画についてこう語ってます。

「この映画は、僕の「乃木坂体験記」です。あくまで僕が直接見たものを入れ込んだものなので、乃木坂46というグループのすべてを語ることはできません。でも、体感したものをできるだけ詰め込んだので、息吹のようなものを感じていただきたいです。そして、実際に人と出会った時のような感覚が残ったらいいなと思います。」

 

確かにメンバーに偏りはありました。だけど、密着してく中で乃木坂について感じたことを、乃木坂46はこんなグループなんだよってのを、しっかりと映像で伝えてくれてるなと思いました。

 

前半は主に西野七瀬の卒業について映画は進行します。

個人へのインタビューも、彼女の卒業をどう感じるか、自分自身の卒業についてはどう思うのか。そもそも、アイドルと卒業とは何なのか。そんな議題をつきつけてきます。

そんな中で同時に見せてくるのが、彼女達の仲の良さです。

監督は言います。「彼女たちは異常なほどに仲が良い」

 

インタビューに答えるメンバーも、卒業していくメンバーを見るのは寂しい。自分もいつかは卒業について考えないといけないとは思う。と語りながら、口々に言います。「乃木坂が好きだ」と。

自分が卒業することを考えるよりも、乃木坂が好きな気持ちが勝ってしまう。

だから卒業についてはまだ考えられないと。

乃木坂が好きで入ってきた3期生。山下美月も言います。

「永遠に誰も卒業して欲しくない。それくらい今の乃木坂は素敵なグループ」と。

 

なぁちゃんはインタビューで「乃木坂には見えない力が働いてる」と言います。個人個人の力はもちろん凄いけど、それ以外の力が乃木坂にはあると。

 

これは僕が映画を見ながら感じたことになるんですが、乃木坂46は「幸せの集合体」なんだなと思いました。

本来なら彼女達は仲間であるのと同時に、決められた枠を取り合うライバルです。

その関係が7年かけて何故ここまで、異常と言われるほどに仲が良くなったのか。

それは、彼女達は共に過ごしていくうちに、それが一番幸せなんだと気が付いた。

彼女達は言います。「乃木坂はみんな可愛くて、いい子で、仲が良い」と。

 

自論なんですが、僕は「自分を含む集合体への評価は、自分への評価へ繋がる」と思ってます。

例えば自分が働く会社や、自分が所属する部活への評価。

この会社はこんなに素晴らしくて、環境がよくて、この会社で仕事が出来て良かったと言っていれば、自然と自分もその会社にふさわしい人間になろうと行動し、自分の評価も上がる。逆も然りです。

例えば恋人や、別れた恋人への印象。

恋人を悪く言うのは、自分自身を悪く言ってるのと同じだと思ってます。それは別れた恋人も同様。

 

彼女達の「みんないい子」には、自分も含まれます。それは暗に自分もいい子だと言ってる腹黒い意味ではなく、みんながそう言うことで、そのグループにいる自分もそうありたいと、自然とそうなっていく。みんながみんなを褒めることが、自然と自分自身を高めていくことに繋がる。

誰がそのきっかけを作りだしたのかはわかりません。真夏やかずみんの優しさや、いくちゃんの純粋さ、まいやんの人当たりの良さ、色んな要素が素晴らしい化学反応を起こした。その中で、褒め合い、認め合い、仲良く過ごすことが一番幸せなんだってことに、メンバーみんなが徐々に気が付いていったんだと思います。

その結果、7年かけて乃木坂は「幸せの集合体」になった。

 

なぁちゃんが言っていた見えない力ってのは、この「幸せ」が導く力なんじゃないのかなって、そんな事を考えていました。

 

馬鹿みたいなことを言いますが、幸せってのは最強です。一番強いです。ありとあらゆる感情の最上級にあるのが幸せです。

だから彼女たちはどんなに辛いことがあっても、卒業の選択が迫られていても、乃木坂にいたいと考える。

真夏は言います。「いつも言いたくても言えなかったことがある。卒業するメンバーが出るたびに思う。卒業ってのを失くさない?って。」と。

かずみんは言います。「まだ受け入れられてない。自分の好きなグループにみんながいるって考えは凄い自分勝手だったんだな」と。

 

映画の中でメンバーに卒業に対して色んな事を聞いて、映画の構成上監督自身なんとか答えを作っていましたが、僕は結局何も答えは出てないなと思いました。

だけどそれが良かったなとも思いました。僕も誰にも卒業して欲しくないから。

 

逆に、意地でも卒業しない事で乃木坂を新しいアイドルグループにしてみせてほしいと、その気持ちが強まりました。

 

映画の中では生田絵梨花についても少しだけ深堀りしてくれてました。

京セラライブとレミゼ開幕がぶつかって、頭をパンクさせながらもどちらもこなそうとする姿。レミゼを終わらせて大阪に向かう新幹線の中で真夏の落書きに軽口を叩きながらも彼女は言います。「乃木坂の現場にいかなきゃって思う。乃木坂にいたい気持ちが年々強くなってる」と。

パンフの最後の方に菊池にもインタビューを取ってます。その中でいくちゃんについて触れてます。僕はパンフの中でその言葉が一番泣けました。そしていくちゃんの46問46答は真夏への愛が溢れています。是非読んでほしいです。

 

 

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映画の中でメインとして撮られていたのは、西野七瀬卒業と、齋藤飛鳥でした。

 

監督の意志か運営の意向かはわかりませんが、西野七瀬の卒業に「乃木坂の今まで」を、そして齋藤飛鳥に密着することで「乃木坂のこれから」を見せたかったのかなと感じました。

飛鳥ちゃんオタクとして飛鳥ちゃんが沢山ピックアップされるのは嬉しい反面、正直飛鳥ちゃんへの密着はこの映画のテーマから外れているような気がして、複雑な思いでした。なぁちゃんの卒業を取り上げるのは乃木坂全体にもつながる。だけど飛鳥ちゃんへの密着はただただ齋藤飛鳥という人間を追ってるだけだと感じたからです。

それは「いつのまにか、ここにいる」には繋がらないんじゃないかなと、そう思いながら見ていました。

でも飛鳥ちゃんは可愛かったです(それはそう)

 

飛鳥ちゃんのシーンで思ったことは沢山あるんですが、それは言葉にしようとしても書ききれないので一旦おいておきますw

 

一つだけ。シンクロニシティを披露したレコ大終わり。飛鳥ちゃんの隣にいる桃子が言いにくそうに言葉を詰まらせて、泣きながら「乃木坂も悪くないなって思った」と言って、それを聞いた飛鳥ちゃんは笑いながら桃子を抱きしめます。桃子ちゃんを慰めてるように見えたけど、桃子を一向に離さない。抱きしめて、慰めてるふりをしながら飛鳥ちゃんも泣いていました。

桃子の言葉は胸にくるものがあったんだと思います。それはその言葉に過去の自分を投影したのか、それとも今まで歩んできた道のりを肯定された気がしたのか。それは分からないけど、抱き合ってる二人は「心が勝手に共鳴」しているように見えて、凄く好きなシーンでした。

 

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最後に。

「いつのまにか、ここにいる」

最初にこのタイトルと、まいやんとなぁちゃんが抱き合ってるポスターを見た時、僕は「ここ」はメンバーの隣のことを言ってるんだと思ってました。

最初は怖くて抱き合うことも出来なかった二人が、一緒に過ごしていくなかで、いつのまにかここにいる存在になっていた。

勿論そうゆう意味も含まれてるんだと思います。

 

だけど映画を最後まで見て、違う意味もあるのかなって感じました。

「ここ」は乃木坂のことです。

メンバーから見た乃木坂でもあれば、ファンから見た乃木坂でもある。

明確にこうしたいって目標を決めて活動しているわけではない。どうなったら卒業するという設計もない。ただ、彼女たちが日々の幸せを積み重ねていった結果、いつのまにか乃木坂はここまで大きくなっていて、彼女達にとってもいつのまにか乃木坂はなくてはならない存在になっていた。

だから、乃木坂46は、彼女達にとっても、そしてそれを見る僕たちファンにとっても、「いつのまにか、ここにいる」存在なのかなと、そう思いました。

 

 

あまりネタバレはしないように感想を書こうと思ってたんですが、酔った勢いで書いてたら無茶苦茶ネタバレしてました。ごめんなさい!(謝れば大丈夫だと思ってる人)

 

ただ、ここに書いただけではない、もっと沢山素晴らしいシーンが詰め込まれた素敵な映画になってます。

まだ見てない人も是非見て下さいね(謎の番宣)

 

とても面白い映画でした。今度はもう少し深くもう一度見たいなと思いました。

ここまで読んで下さってありがとうございました。