diary

“Quem deseja ver o arco-íris, precisa aprender a gostar da chuva.” @pyi46

『「」のような存在』の「」について考える

 

 

お久しぶりです。

「のような存在」の音源とMVが解禁されましたね。

聞き手によって様々な解釈が出来そうな歌詞と、見る人によって様々な考察が出来そうなMVになっているなぁという印象を受けました。

そこで僕なりにこの曲を聞き、MVを見た感想を書いてみたいなと思います。

 

まずは歌詞について。

この曲は片思いの曲です。

曲の中で「僕」は自分の想いを氷に比喩しています。

 

グラスに(いくつか) 氷を(入れて)
溶けてく(時間を) ただ眺めてた


今の僕には(yes) 共感できるけど(why)
何にもできないのが残酷で
じっと待ってる(yes) それだけでは(why)
存在がない

 

グラスの中の氷が君への想いです。

あの頃の僕は好きな人をただ見てることしかできなかった。

じっと待ってるだけでは意味(存在)がない。

 

愛って何だか 一人じゃいけないのか
手をこまねいて やがて消えてしまうよ
振り向いてくれるまでは 想いは一方通行
何か求めなきゃ 非生産的だ
だから僕はただカラカラとゆらゆら
音を立てて 忘れようか
Just a moment (Just a moment)

 

そして僕は愛について考えます。

愛は一人では成り立たないもの、振り向いてもらえないと意味がないし、求めないと何も生まれない。

音は氷の音だと考えます。だから僕は、グラスの中の氷が溶け始めてカランと音が鳴るように、君への想いも溶けるように忘れていこうと。

 

変化が(ないのに) 氷を(じっと)
見てても(誰だって) 退屈になる


そうだ君は(no) 気づいていない(love)
影響力などない僕なんて
せめて側に(no) 居てくれれば(love)
違っていた

 

2番で僕は「せめて側に居てくれれば違っていた」と言っています。

君と僕の関係性には変化がなくて、僕はただ君を見ているだけだ。

僕には君への影響力なんかなくて、好きな気持ちを伝えようとしても気づいてもらえなかった。せめてもう少し側にいてくれたら、想いは伝わったかもしれないのに。

 

愛ってあやふや 指さえ触れられない
そこにあっても そこにないような
何度手を伸ばしてみても ほんの一瞬のまぼろし
君がいなければ 想像するだけ
そして僕は グラスをそっと
ゆらゆら
音はせずに 残ったのが
何だ(何だ)

 

そして僕はまた愛について考えます。

触れることも出来ないし、そこにあるのかないのかもわからない。

手を伸ばしても感触はない。

そして僕はグラスをそっと揺らしてみたけれど、音が鳴る事はなかった。それはつまりグラスの中に入っていたはずの氷が溶けてしまったということ。

君への想いを氷に例えていたけど、氷は溶けてしまった。

君への想いがなくなったわけではないのに。

ではそこに残った存在(もの)は一体なんなんだろうか。

 

でも僕は知ってる(確かに)
氷があったことを(目の前に)
それでいいんだ 愛してたんだ
水に流されたって

 

君への想い(氷)を諦めて忘れようとしても、そこに確かに氷はあった。

今は水になってしまっていても、そこに氷があったことを僕は分かっている。それでいいんだ。

 

愛って不思議だ 誰にもわからないよ
言葉なんかじゃ説明できないし
溶けて流れてなくなるし 想いはずっと消えないし
得体の知れない「のような存在(もの)」なのか

 

そして僕はまた愛について考えます。

愛ってなんなんだろう。そこに確かに存在していたとしても、氷みたいに形があるわけじゃない。そして氷が溶けてしまうように消えてしまっても、想いはずっと残る。

そして僕は愛を得体のしれない「のような存在(もの)」なのかと考えるようになります。

 

愛って何だか 一人じゃいけないのか
手をこまねいて やがて消えてしまうよ
振り向いてくれるまでは 想いは一方通行
何か求めなきゃ 非生産的だ
だから僕はただカラカラとゆらゆら
音を立てて 忘れようか
Just a moment (Just a moment)

 

ーーーーーーー

 

僕はこの曲を片思いの曲と言いました。

ここからは僕の妄想になるのですが、この恋はただの片思いじゃない、特別な片思いなんだと思いました。何かしらの理由で相手に想いを伝えることが出来なかった。そして、想いを伝えられないまま、相手は「僕」の前から姿を消してしまった。

「僕」はグラスから溶けてく氷を眺めてる時間について、「今の僕には共感できるけど、何にも出来ないのが残酷で」と言っています。

愛は氷のようなもので、手をこまねいていたら消えてしまう。一人じゃ意味がない。君がいないと想いを伝えることは出来ない。だけどそれに気が付いた時にはもう君はいない。そのことを君の存在が教えてくれたのに、今はもう何にも出来ない。

恋愛において一番辛いのは好きな気持ちを伝えられないままその恋が終わってしまうことで、その感情を「残酷」だと言ってるのかなと思いました。

だから僕はこの感情を氷と一緒に音を立てて忘れようとしてるのかなと。

だけど氷が溶けても好きだった想いは残る。そして音はせずに残ったものは何だと考える。堂々巡りです。

やり場のない感情、それを得体のしれない「のような存在」と表現してるのかなと思いました。

 

これが歌詞についての僕の考察になります。

 

ーーーー

 

長くなってしまいましたが、ここからMVを見た感想を書きたいと思います。

 

外に出ることができない男の子・齋藤飛鳥を家庭教師としてその家を訪れた白石麻衣が、外に出れない理由が心にあると思い、齋藤飛鳥の心を開いて家から出そうと試みるが・・・というストーリー仕立てのMVとなっています。

 

何かしらの理由で外に出ることが出来ない齋藤飛鳥と、その理由が心にあると思い心を開こうとする白石麻衣

 

窓の外を見つめる飛鳥ちゃんの横顔からストーリーは始まります。綺麗な窓を綺麗に拭いて、少しでも外を鮮明に見ようとする飛鳥ちゃん。外に出たいのに出れない心情が感じられます。

 そこに訪れた家庭教師のまいやん。飛鳥ちゃんはまいやんに見つめられると粉塵マスクを守るように抱えます。凄く大切にしてるものだというのが伺えます。

 この粉塵マスクがないと外に出ることは出来ない。直接外の空気を吸うことが出来ない。おそらくそうゆう病気なんでしょう。

だけど家庭教師として訪れたまいやんは、飛鳥ちゃんが外に出れない理由は心にあると考えます。何故病気ではなく心にあると思ったのか。

 

家庭教師として訪れたということは、家庭教師を頼んだ人がいるということ。それが誰かは分かりませんが、僕はその誰かにこう言われたんじゃないかなと考えます。「飛鳥の心を開いてほしい」と。

まいやんは最初から飛鳥ちゃんが本当は外に出れる事を知っていた。ただ、強引に外に出そうとしても意味がない。飛鳥ちゃん自身に本当は病気じゃなくて外にも出れるんだと気が付いてもらわないといけない。そのためには彼女の心を開く必要がある。(男役だから彼ですね)

 

そしてまいやんは飛鳥ちゃんの心を開こうとします。その中で徐々に彼女(彼)に惹かれていきます。だけど決して彼にその気持ちを悟られないようにします。

同じように飛鳥ちゃんもまいやんに惹かれていきます。飛鳥ちゃんがまいやんにキスを迫っても、まいやんは自分の感情を押し殺して顔をそむけます。

何故なのか。

まいやんは飛鳥ちゃんの心を開くよう頼まれて訪れた家庭教師です。

それはつまり、飛鳥ちゃんが心を開いたら自分の役割は終わりだということ。そしてここを去らなければいけないということ。それが分かっていたから、自分の気持ちを押し殺して、悟られないようにした。

 

だけど皮肉なことに、飛鳥ちゃんが心を開き、窓の外に出ても大丈夫だと気が付くきっかけになったのはまいやんへの愛だった。

 

最後のシーン、窓が開き風で揺れるカーテン。手元に置かれた花と眠る飛鳥ちゃん。

まいやんの為に外に出て花を取ってきて、そのまま疲れて眠ってしまったのかなと思いました。粉塵マスクを外して、海岸沿いを二人で歩く未来を想像しながら。

 

その寝姿を見てまいやんは飛鳥ちゃんが外に出れるようになったことを知ります。

そしてそれは自分がここを去る時が来たということ。

飛鳥ちゃんに気が付かれずに自分の気持ちを残すように、眠る飛鳥ちゃんの頬にキスをして、まいやんはいなくなります。

 

 

ここからは妄想です。(ここまでも妄想ですが)

 

僕はこの曲をただの片思いじゃない、特別な片思いの曲と言いました。

目が覚めた飛鳥ちゃんは、まいやんがいなくなったことに気が付きます。

取ってきた花は残されたまま。想いを告げる事が出来ないまま、まいやんはいなくなってしまった。

そして考えます。愛ってなんなんだ。このやり場のない感情はなんなんだ。この得体の知れない「のような存在」はなんなんだと。

 その答えを氷に求めて、溶けてしまうけど確かにそこにあったものだと共感することが出来たけど、何にも出来ないのが残酷で。

グラスに浮かべた氷を眺めながら、諦めきれない君への想いを、確かに氷はあった、水に流されて存在が消えてしまっても、愛していたんだ、それでいいんだと自分に言い聞かせて納得しようとします。

そして、カランと音を鳴らしながら溶けていく氷のように、音を立てて忘れようと。

 

 

ーーーー

 

さて。

僕はブログのタイトルにこう書きました。

 

『「」のような存在』の「」について考える

 

MVの最後に表示される『のような存在』の上には余白があります。まるでそこに何か言葉が入るかのように。

確かに「のような」と言ってるからにはそこには何かしらの言葉が入るのかなと思います。

自然に入れようと思ったらそこに入る言葉は「氷」かなと思います。

愛って不思議だ 誰にもわからないよ
言葉なんかじゃ説明できないし
溶けて流れてなくなるし 想いはずっと消えないし
得体の知れない「のような存在(もの)」なのか

溶けて流れてなくなるけど、そこに確かにあったもの。曲の中でもそれを氷と比喩しています。

だけど僕はそうじゃないんじゃないかなと思います。

氷が溶けてしまった状態を第三者が見てもそれはただの水で、そこに氷があったことはその氷を見た人しか知りえません。

氷のような存在にしてしまったら、その氷が溶けてしまった時にそこからなくなってしまうのか。そうじゃない。氷が溶けても想いはずっと残る。では氷が溶けてもそこに氷がある状態をなんといえばいいのか。

 

僕の出した答えは「何も入らない」です。

そこにあるはずなのに見ることも掴むことも出来ない空気のように、あることはわかるけど視覚や触覚で確認することは出来ない。それを言語化したものが『「」』に入るのかなと思いました。

 

生産性のない答えですみません。

 

 

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ここからは余談になります(ずっと余談ですが)

 

MVの最後、「のような存在」のタイトルの背景が一瞬だけ黒く、そして白くなります。

黒背景は飛鳥ちゃん、白背景はまいやんを表現してるのかなと思いました。

 

もし二人が両想いだったとしたら、飛鳥ちゃんにとっての「のような存在」がまいやんだったのと同じように、まいやんにとっての飛鳥ちゃんも想いを伝えられないまま一緒にいることが出来なくなってしまった「のような存在」になると思います。

 

飛鳥ちゃんがまいやんがいなくなってしまった部屋で一人愛について考えてる時に、まいやんもどこかで同じように愛について考えているのかもしれない。

この曲は飛鳥ちゃんの想いであるのと同時にまいやんの想いでもある。

 

お互いがお互いを想って、特別な片思いの感情を歌っている。

そう考えて歌詞を見直すと凄く切ない曲だなと思いました。

 

 

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長くなりました。

最後に僕の感想です(ずっと感想ですが)

 

「のような存在」の歌詞、そこから物語を連想させる素敵なMV、その両方が重ね合わさって、よりこの曲が深く、切なく、儚く感じられるようになりました。

伊藤衆人監督、素晴らしいMVを本当にありがとうございました。

 

 

最後になりますが、ここまで書いてきたことは全部僕が歌詞とMVから勝手に考えたことで、勿論これが正解ではないです。もしかしたらこれを読んだ貴方とは全く違う考察になってるかもしれません。

ただ、沢山の見方を知ることで、作品はより面白くなると思ってます。こんな考え方もあるんだよと、それくらいの気持ちで読んでいただければありがたいと思います。

 

読んでくださりありがとうございました。