diary

“Quem deseja ver o arco-íris, precisa aprender a gostar da chuva.” @pyi46

『たかが10年の片想い』

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初めて好きな人に告白した時、初めてデートした時、初めて手を繋いだ時、初めてキスをした時、初めて身体を重ねた時。

勿論その相手は全て同じとは限りません。

だけど、その時その時のドキドキ感は、何年経っても忘れることはありません。

青春とは、「記憶」なのかなと思います。

 

僕はとんでもなく馬鹿で記憶能力が乏しいので、昨日何を食べたのかもあまりよく覚えてません。映画を見ても暫くすると内容を忘れてしまう事も多いです。

それなのに、何年も前に経験した好きな人と過ごしてドキドキした記憶や、遊んだ思い出、初めて手を繋いだ場所、未だに忘れられない思い出がいくつかあります。

それは好きな人のことだけではなく、例えば友達と馬鹿みたいに朝まで遊んだ日のことや、一緒に遊びに行った時の思い出だったり、例えば乃木坂のライブを見た時の思い出だったり。

 

そして、それは決して若い時の経験だけじゃなくて、この歳になっても、好きな人とドライブをしたり、食事をした思い出や、友人と飲んで語り合った時のこと、昨日のことは忘れてしまっていても、それらの記憶はしっかりと脳に残ってます。

多分何年たっても、大袈裟に言ってしまえば死ぬ間際まで忘れないんじゃないかなと思います。

 

年寄りは同じ話ばかりすると言います。きっと、脳が退化して記憶力が弱くなっても、忘れられない思い出がある。だからその話ばかりしてしまう。

 

そんな、死ぬまで覚えてるであろう出来事、それを「青春」と呼ぶのじゃないかなって、僕はそう思います。

 

 

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「あの頃、君を追いかけた」を見てきました。

 

※ここから先はがっつりとしたネタバレを含みますので、まだ映画を見てない方、ネタバレが見たくない方はお手数ですがブラウザの「戻る」を押してください。

 

 

 

 

 

山田裕貴演じる水島浩介と、齋藤飛鳥演じる早瀬真愛は、作中でどちらも疑問を抱きます。

水島浩介は、勉強を前にして「こんなことをしてなんの意味がある」と早瀬真愛に問いかけます。

早瀬真愛は、格闘をする水島浩介に対して「人と殴りあうことになんの意味があるの?」と問いかけます。

早瀬真愛は自分なりに考えてる答えを返して水島浩介を納得させた。

だけど水島浩介の返した答えは、早瀬真愛を納得させることが出来なかった。

「女は先に大人になり、男はそれに気づくことがない」

 

先程、青春は「記憶」と言いましたが、色々なことに疑問を抱き、理由を探して、理解していく。それも青春のひとつと呼べるのかなと思います。

そして2人の青春はそこですれ違ってしまい、土砂降りの中歩き出す水島浩介を、早瀬真愛は追いかけることが出来ずに、「馬鹿!ほんとに馬鹿!」と彼の背中に言葉を浴びせるのが精一杯だった。

 

過去を振り返ると、覚えてるのは決していい思い出だけではありません。

思い出すのも恥ずかしいようなことや、大切な人を傷つけてしまったこと、それらの記憶も決して忘れることがないなら、それもまた青春と呼べるのかなと思います。

 

そして、お互いを好きだったのに別々の道を歩き出した2人は、ifの話をします。

 

過去を振り返った時に、「あの時あーしてれば」と思うことは誰しもが経験した事があると思います。

 

早瀬真愛は、クラスのヒロインでした。クラスメイトの誰しもが彼女を好きでした。

好きな人に対して、「もし彼女と付き合えたなら」と妄想を膨らませたことも、誰しもが経験したことがあると思います。

 

水島浩介は、そんな多くの人が経験したことがある甘酸っぱい思い出を、僕達の代わりに体現してくれてました。

だから彼に感情移入して、そして尚更早瀬真愛を好きになる事が出来た。

 

 

さて。僕は青春は「記憶」と言いました。

過去を振り返った時に、初めて告白をした時や、初めて手を繋いだ時、それらを思い出すと、同時にその時その子を好きだった気持ちも思い出します。

記憶の中で、ずっと相手の事を好きでいます。

もしその記憶が死ぬまで残るなら、それは死ぬまで相手の事を好きだとも言えると思います。

これは決して重たい意味合いで言ってるのではなくて、好きな記憶も無くならないって事です。

上手く言えないんですけど。

 

『たかが10年の片想い』

 

これは映画につけられたサブタイトルです。

 

これは、彼女を好きになってから、彼女の幸せを祝福するまでの期間。その彼女を好きだった10年間の片想いの事を言ってるのかと思ってました。

 

だけど、きっと水島浩介は、記憶の中でこれから死ぬまで早瀬真愛を好きなんだろうなって思います。

だからここにつけられた「たかが」には、「君を好きになれて本当に良かったから、君を好きだった10年間なんて短いもんだ」って意味合いの他にも、「この先もずっと君を好きだから、その中で見たら10年なんて短いもんだ」って意味もあるのかもしれないなって、映画をみてそう思いました。

 

 

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「140字で語ってください」と言われましたが、2000文字程度になってしまいました。誤差の範囲内ですが、読んでもらえるのかは不安です()

 

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映画の感想ですが、飛鳥ちゃんの演技はどうなのかなとか、ちゃんとお芝居出来てるのかなとか、飛鳥ちゃんの事になるとどうしても俯瞰で見ることは出来なくて、冷静な感想は言えないんですけど、ただ一つだけ思えたことは、齋藤飛鳥が早瀬真愛を演じてくれて良かったなと。早瀬真愛の言葉の一つ一つが、本当に飛鳥ちゃんの言葉みたいで、それが良いか悪いのかは置いといて、早瀬真愛は飛鳥ちゃんだったなぁと思いました。

 

 

 

ここら辺にしておきます。

長くなりました。読んでくださってありがとうございました。