diary

“Quem deseja ver o arco-íris, precisa aprender a gostar da chuva.” @pyi46

『「」のような存在』の「」について考える

 

 

お久しぶりです。

「のような存在」の音源とMVが解禁されましたね。

聞き手によって様々な解釈が出来そうな歌詞と、見る人によって様々な考察が出来そうなMVになっているなぁという印象を受けました。

そこで僕なりにこの曲を聞き、MVを見た感想を書いてみたいなと思います。

 

まずは歌詞について。

この曲は片思いの曲です。

曲の中で「僕」は自分の想いを氷に比喩しています。

 

グラスに(いくつか) 氷を(入れて)
溶けてく(時間を) ただ眺めてた


今の僕には(yes) 共感できるけど(why)
何にもできないのが残酷で
じっと待ってる(yes) それだけでは(why)
存在がない

 

グラスの中の氷が君への想いです。

あの頃の僕は好きな人をただ見てることしかできなかった。

じっと待ってるだけでは意味(存在)がない。

 

愛って何だか 一人じゃいけないのか
手をこまねいて やがて消えてしまうよ
振り向いてくれるまでは 想いは一方通行
何か求めなきゃ 非生産的だ
だから僕はただカラカラとゆらゆら
音を立てて 忘れようか
Just a moment (Just a moment)

 

そして僕は愛について考えます。

愛は一人では成り立たないもの、振り向いてもらえないと意味がないし、求めないと何も生まれない。

音は氷の音だと考えます。だから僕は、グラスの中の氷が溶け始めてカランと音が鳴るように、君への想いも溶けるように忘れていこうと。

 

変化が(ないのに) 氷を(じっと)
見てても(誰だって) 退屈になる


そうだ君は(no) 気づいていない(love)
影響力などない僕なんて
せめて側に(no) 居てくれれば(love)
違っていた

 

2番で僕は「せめて側に居てくれれば違っていた」と言っています。

君と僕の関係性には変化がなくて、僕はただ君を見ているだけだ。

僕には君への影響力なんかなくて、好きな気持ちを伝えようとしても気づいてもらえなかった。せめてもう少し側にいてくれたら、想いは伝わったかもしれないのに。

 

愛ってあやふや 指さえ触れられない
そこにあっても そこにないような
何度手を伸ばしてみても ほんの一瞬のまぼろし
君がいなければ 想像するだけ
そして僕は グラスをそっと
ゆらゆら
音はせずに 残ったのが
何だ(何だ)

 

そして僕はまた愛について考えます。

触れることも出来ないし、そこにあるのかないのかもわからない。

手を伸ばしても感触はない。

そして僕はグラスをそっと揺らしてみたけれど、音が鳴る事はなかった。それはつまりグラスの中に入っていたはずの氷が溶けてしまったということ。

君への想いを氷に例えていたけど、氷は溶けてしまった。

君への想いがなくなったわけではないのに。

ではそこに残った存在(もの)は一体なんなんだろうか。

 

でも僕は知ってる(確かに)
氷があったことを(目の前に)
それでいいんだ 愛してたんだ
水に流されたって

 

君への想い(氷)を諦めて忘れようとしても、そこに確かに氷はあった。

今は水になってしまっていても、そこに氷があったことを僕は分かっている。それでいいんだ。

 

愛って不思議だ 誰にもわからないよ
言葉なんかじゃ説明できないし
溶けて流れてなくなるし 想いはずっと消えないし
得体の知れない「のような存在(もの)」なのか

 

そして僕はまた愛について考えます。

愛ってなんなんだろう。そこに確かに存在していたとしても、氷みたいに形があるわけじゃない。そして氷が溶けてしまうように消えてしまっても、想いはずっと残る。

そして僕は愛を得体のしれない「のような存在(もの)」なのかと考えるようになります。

 

愛って何だか 一人じゃいけないのか
手をこまねいて やがて消えてしまうよ
振り向いてくれるまでは 想いは一方通行
何か求めなきゃ 非生産的だ
だから僕はただカラカラとゆらゆら
音を立てて 忘れようか
Just a moment (Just a moment)

 

ーーーーーーー

 

僕はこの曲を片思いの曲と言いました。

ここからは僕の妄想になるのですが、この恋はただの片思いじゃない、特別な片思いなんだと思いました。何かしらの理由で相手に想いを伝えることが出来なかった。そして、想いを伝えられないまま、相手は「僕」の前から姿を消してしまった。

「僕」はグラスから溶けてく氷を眺めてる時間について、「今の僕には共感できるけど、何にも出来ないのが残酷で」と言っています。

愛は氷のようなもので、手をこまねいていたら消えてしまう。一人じゃ意味がない。君がいないと想いを伝えることは出来ない。だけどそれに気が付いた時にはもう君はいない。そのことを君の存在が教えてくれたのに、今はもう何にも出来ない。

恋愛において一番辛いのは好きな気持ちを伝えられないままその恋が終わってしまうことで、その感情を「残酷」だと言ってるのかなと思いました。

だから僕はこの感情を氷と一緒に音を立てて忘れようとしてるのかなと。

だけど氷が溶けても好きだった想いは残る。そして音はせずに残ったものは何だと考える。堂々巡りです。

やり場のない感情、それを得体のしれない「のような存在」と表現してるのかなと思いました。

 

これが歌詞についての僕の考察になります。

 

ーーーー

 

長くなってしまいましたが、ここからMVを見た感想を書きたいと思います。

 

外に出ることができない男の子・齋藤飛鳥を家庭教師としてその家を訪れた白石麻衣が、外に出れない理由が心にあると思い、齋藤飛鳥の心を開いて家から出そうと試みるが・・・というストーリー仕立てのMVとなっています。

 

何かしらの理由で外に出ることが出来ない齋藤飛鳥と、その理由が心にあると思い心を開こうとする白石麻衣

 

窓の外を見つめる飛鳥ちゃんの横顔からストーリーは始まります。綺麗な窓を綺麗に拭いて、少しでも外を鮮明に見ようとする飛鳥ちゃん。外に出たいのに出れない心情が感じられます。

 そこに訪れた家庭教師のまいやん。飛鳥ちゃんはまいやんに見つめられると粉塵マスクを守るように抱えます。凄く大切にしてるものだというのが伺えます。

 この粉塵マスクがないと外に出ることは出来ない。直接外の空気を吸うことが出来ない。おそらくそうゆう病気なんでしょう。

だけど家庭教師として訪れたまいやんは、飛鳥ちゃんが外に出れない理由は心にあると考えます。何故病気ではなく心にあると思ったのか。

 

家庭教師として訪れたということは、家庭教師を頼んだ人がいるということ。それが誰かは分かりませんが、僕はその誰かにこう言われたんじゃないかなと考えます。「飛鳥の心を開いてほしい」と。

まいやんは最初から飛鳥ちゃんが本当は外に出れる事を知っていた。ただ、強引に外に出そうとしても意味がない。飛鳥ちゃん自身に本当は病気じゃなくて外にも出れるんだと気が付いてもらわないといけない。そのためには彼女の心を開く必要がある。(男役だから彼ですね)

 

そしてまいやんは飛鳥ちゃんの心を開こうとします。その中で徐々に彼女(彼)に惹かれていきます。だけど決して彼にその気持ちを悟られないようにします。

同じように飛鳥ちゃんもまいやんに惹かれていきます。飛鳥ちゃんがまいやんにキスを迫っても、まいやんは自分の感情を押し殺して顔をそむけます。

何故なのか。

まいやんは飛鳥ちゃんの心を開くよう頼まれて訪れた家庭教師です。

それはつまり、飛鳥ちゃんが心を開いたら自分の役割は終わりだということ。そしてここを去らなければいけないということ。それが分かっていたから、自分の気持ちを押し殺して、悟られないようにした。

 

だけど皮肉なことに、飛鳥ちゃんが心を開き、窓の外に出ても大丈夫だと気が付くきっかけになったのはまいやんへの愛だった。

 

最後のシーン、窓が開き風で揺れるカーテン。手元に置かれた花と眠る飛鳥ちゃん。

まいやんの為に外に出て花を取ってきて、そのまま疲れて眠ってしまったのかなと思いました。粉塵マスクを外して、海岸沿いを二人で歩く未来を想像しながら。

 

その寝姿を見てまいやんは飛鳥ちゃんが外に出れるようになったことを知ります。

そしてそれは自分がここを去る時が来たということ。

飛鳥ちゃんに気が付かれずに自分の気持ちを残すように、眠る飛鳥ちゃんの頬にキスをして、まいやんはいなくなります。

 

 

ここからは妄想です。(ここまでも妄想ですが)

 

僕はこの曲をただの片思いじゃない、特別な片思いの曲と言いました。

目が覚めた飛鳥ちゃんは、まいやんがいなくなったことに気が付きます。

取ってきた花は残されたまま。想いを告げる事が出来ないまま、まいやんはいなくなってしまった。

そして考えます。愛ってなんなんだ。このやり場のない感情はなんなんだ。この得体の知れない「のような存在」はなんなんだと。

 その答えを氷に求めて、溶けてしまうけど確かにそこにあったものだと共感することが出来たけど、何にも出来ないのが残酷で。

グラスに浮かべた氷を眺めながら、諦めきれない君への想いを、確かに氷はあった、水に流されて存在が消えてしまっても、愛していたんだ、それでいいんだと自分に言い聞かせて納得しようとします。

そして、カランと音を鳴らしながら溶けていく氷のように、音を立てて忘れようと。

 

 

ーーーー

 

さて。

僕はブログのタイトルにこう書きました。

 

『「」のような存在』の「」について考える

 

MVの最後に表示される『のような存在』の上には余白があります。まるでそこに何か言葉が入るかのように。

確かに「のような」と言ってるからにはそこには何かしらの言葉が入るのかなと思います。

自然に入れようと思ったらそこに入る言葉は「氷」かなと思います。

愛って不思議だ 誰にもわからないよ
言葉なんかじゃ説明できないし
溶けて流れてなくなるし 想いはずっと消えないし
得体の知れない「のような存在(もの)」なのか

溶けて流れてなくなるけど、そこに確かにあったもの。曲の中でもそれを氷と比喩しています。

だけど僕はそうじゃないんじゃないかなと思います。

氷が溶けてしまった状態を第三者が見てもそれはただの水で、そこに氷があったことはその氷を見た人しか知りえません。

氷のような存在にしてしまったら、その氷が溶けてしまった時にそこからなくなってしまうのか。そうじゃない。氷が溶けても想いはずっと残る。では氷が溶けてもそこに氷がある状態をなんといえばいいのか。

 

僕の出した答えは「何も入らない」です。

そこにあるはずなのに見ることも掴むことも出来ない空気のように、あることはわかるけど視覚や触覚で確認することは出来ない。それを言語化したものが『「」』に入るのかなと思いました。

 

生産性のない答えですみません。

 

 

ーーー

 

ここからは余談になります(ずっと余談ですが)

 

MVの最後、「のような存在」のタイトルの背景が一瞬だけ黒く、そして白くなります。

黒背景は飛鳥ちゃん、白背景はまいやんを表現してるのかなと思いました。

 

もし二人が両想いだったとしたら、飛鳥ちゃんにとっての「のような存在」がまいやんだったのと同じように、まいやんにとっての飛鳥ちゃんも想いを伝えられないまま一緒にいることが出来なくなってしまった「のような存在」になると思います。

 

飛鳥ちゃんがまいやんがいなくなってしまった部屋で一人愛について考えてる時に、まいやんもどこかで同じように愛について考えているのかもしれない。

この曲は飛鳥ちゃんの想いであるのと同時にまいやんの想いでもある。

 

お互いがお互いを想って、特別な片思いの感情を歌っている。

そう考えて歌詞を見直すと凄く切ない曲だなと思いました。

 

 

ーーー

 

長くなりました。

最後に僕の感想です(ずっと感想ですが)

 

「のような存在」の歌詞、そこから物語を連想させる素敵なMV、その両方が重ね合わさって、よりこの曲が深く、切なく、儚く感じられるようになりました。

伊藤衆人監督、素晴らしいMVを本当にありがとうございました。

 

 

最後になりますが、ここまで書いてきたことは全部僕が歌詞とMVから勝手に考えたことで、勿論これが正解ではないです。もしかしたらこれを読んだ貴方とは全く違う考察になってるかもしれません。

ただ、沢山の見方を知ることで、作品はより面白くなると思ってます。こんな考え方もあるんだよと、それくらいの気持ちで読んでいただければありがたいと思います。

 

読んでくださりありがとうございました。

白夜月に君を想う

 

あけましておめでとうございます。今年もなにとぞ。

 

2019年になった瞬間にするのもなんなんですが、2015年、かずみんが飛鳥ちゃんの事をこう表現していました。

「同じ年代のみなみが太陽だとすると、飛鳥は月だ」

 

確かに、飛鳥ちゃんは太陽と言うよりは月に近いなと思います。

 

月は自ら光を発してはいません。太陽の光をかりてあれだけ輝いて見える。

どれだけ活躍しても、どれだけフォーカスが当てられても、自分には自信がないと言い張る飛鳥ちゃん。

自分から輝くのではなく、メンバー、スタッフ、ファン、周りの力をかりて輝きを放つ。

 

太陽が出ている間は謙虚に存在を隠し、太陽が消え辺りが暗くなると輝き夜道を照らしてくれる。

「どうしても見るのなら自分よりも他の子だろうと思ってしまう」と自分を評し、集合写真でもいつも端の方。

だけど1人仕事の時はしっかりと自分の存在を出してくる。

 

月は地球から決して裏側を見ることが出来ません。

そんな所も、自分を多く語ろうとはしない、努力も見せたがらない。悩みも考えてることも全てを出さない。自分の裏側を見せない飛鳥ちゃんに似てるなと感じます。

 

────────

 

2018年の乃木坂は今まで以上に個人での仕事が増え、出る番組の規模も扱いも大きくなり、勿論ファンの人数も売上もコンサートの規模も登り坂。

飛鳥ちゃんも映画の主演、CM、モデル、雑誌の表紙、数々のテレビ出演、全てにおいて2017年を超える活躍。

乃木坂にとっても飛鳥ちゃんにとっても物凄く飛躍の年だったように思います。

 

だけどいい事だけではなく、なぁちゃんを初めとする沢山のメンバーの卒業もありました。

 

最近の乃木坂の活躍を一言で表すとするなら、

2017年が『進化』の年

2018年は『飛躍』の年

そして今年、

2019年は『変化』の年になるんじゃないかなと、そんな気がします。

 

 

多くの人は変化を恐れます。

それは今いる場所の居心地がいい程に。

変化することで、この居心地の良さが無くなってしまうかもしれないから。

人は誰も、変わることに慣れていなくて昨日と同じように、今日も、明日も、ここに居たいと思ってしまうから。

見えない未来を掴む為に今を変えるのはとても勇気のいる行為です。

 

だけど、変化する事は凄く大切な事でもあると思います。

何故なら、今がどんなに眩しくても、未来はもっと眩しいかもしれないのだから。

 

 

そして、多くのファンは変化を受け入れることを拒みます。

今のままで満足出来るのだから、今のままでいいだろうと。変化する必要はないだろうと。

そんな心情が、変化を受け入れることを拒否するのだと思います。

 

 

2018年最後の乃木坂工事中、そのCMの中で乃木坂ちゃんはこんな事を言ってます。

 

『変わることも変わらないことも

全て受け入れて私達は進む

変化することは避けられないこと

だから少しだけ信じてみたいのです

今日より明るい未来

好きな人達のこと』

 

この『好きな人達』は、メンバーやスタッフだけじゃなく、ファンも含まれてると僕は思いました。

 

乃木坂ちゃんは変化を受け入れて進もうとしてる。

だけどそれをファンが受け入れてくれるのかは不安だ。

だから、『少しだけ信じてみたいのです』と、乃木坂ちゃんらしく控え目に、変化してもついてきて欲しいなと、そう伝えてるのかなと。

 

だから僕もどんな変化があっても受け入れて楽しみたいなと思ってるし、多くの乃木坂ファンが、乃木坂ちゃんの意志を汲んで、避けられない変化を受け入れてくれたらいいなと思います。

 

どんな分野でも言えますが、飛躍を定着させるのは飛躍するよりも難しいことだと思います。

今は永遠には続かない。

だから前に進むしかない。

今日より明るい未来の為に。

 

 

少し後ろ向きな書き方になってしまいましたが、勿論2019年も、乃木坂ちゃんも飛鳥ちゃんも今まで以上に飛躍すると思います。

 

 

さてここで2018年の新年に僕が書いたブログを1部振り返ってみたいと思います。

 

────

これは推し補正が凄いんですが、僕は2018年は飛鳥ちゃんの年になると思ってます。

これはオタク目線ではなく一般認知度やファン増加の立役者的な話ですが、その面で今年は飛鳥ちゃんが至る所で活躍をして、乃木坂のエースになるんじゃないかなって。

 

今までその役割は「白石麻衣」がずっと先頭を牽引しながら「橋本奈々未」や「西野七瀬」や「生駒里奈」が各分野で務めてきたと僕は思ってます。

勿論飛鳥ちゃんも役割を担ってきましたが、今年は今まで以上に飛鳥ちゃんがその役割を果たすんじゃないかなって、これは期待込みですが、そんな姿が見れるのが楽しみですし、見たいです。

────

 

2018年、飛鳥ちゃんの活躍を振り返るとキリがないほど出てきます。キミオイの主演、ニベア、Lux等のCM、セブンルール、情熱大陸...

乃木坂としては勿論、齋藤飛鳥個人として外に向けた仕事での活躍もめざましかった。これは僕がブログで書いていた

「これはオタク目線ではなく一般認知度やファン増加の立役者的な話ですが、その面で今年は飛鳥ちゃんが至る所で活躍をして、乃木坂のエースになるんじゃないかなって」

がまさに当てはまったと言えると思います(今年最大のドヤ顔)

 

だけどこれについてのツイートをドヤ顔でしたら「具体的に書けばもっとドヤ顔出来たのにな」的な事を言われたので、ここで2019年、飛鳥ちゃんが個人としてどんな活躍をするのかを具体的に予想してみたいと思います。

 

・映画主演(乃木坂ではなく外仕事として)

モンド・グロッソの様な音楽系のコラボ

・乃木坂シングルの中にソロ曲

・雑誌のコラムの様な文章仕事

・20歳の記念の写真集発売

・何故かNEWS ZEROに定期的に呼ばれる

・CM出演本数が白石麻衣に次いで2位になり、まいやんと2人でワンツーフィニッシュ

・モデルとして海外でランウェイを歩く

・まいやんと飲みに行く夢が何かしらのテレビの何かしらの企画により実現。プライベートでは未だ行けず

オールスター感謝祭に出演、バナナマンとの共演、そして、映画の番宣で出演していた深川麻衣、同じくドラマ枠の西野七瀬、バラエティー枠の生駒里奈との共演が実現する。

・ブログ更新は年間3回

 

以上です。ちょっと大きくですぎましたが、オタク補正が凄いので暖かい目で見てください()

願望としてはラジオ番組をもう1つやって欲しいけど、時間的に難しいだろうなとは思います。

あとはドラムをどこかで披露してくれたら嬉しいなって思います。叶うならいくちゃんのピアノ、飛鳥ちゃんのドラムをバックに乃木坂ちゃんが歌う。そんな絵が見てみたいです(関係者に届け)

 

 

────────

 

白夜月とは、昼間見える月のことを言います。

昼間は太陽に隠れて気配を消している月が、存在を隠しきれずに姿を表す。

いつも隅の方にいても、可愛さが隠しきれない飛鳥ちゃんのようだなと。外仕事も増え始め、乃木坂を好きな人以外の目にも止まるようになり、それでもその可愛さが認められて、夜以外も輝き始めた飛鳥ちゃんのようだなと、最近白夜月を見るとそう思います。

 

また或いは昼間の月は「私だってここにいるんだぞ」と存在を主張してきているようにも見えます。

ファンは知ってると思いますが、飛鳥ちゃんは謙虚だけど決してやる気が無い訳では無い。むしろ貪欲な時もある。だけど自分を主張するのが得意じゃないから、少しだけ遠慮がちに自分をアピールしてくる。太陽よりは目立たないように。

 

 

 

────────

 

2018年、僕個人としても色々な出来事がありました。

そして明確な目標、明確な夢が出来ました。

今年は目標を叶えるために、そして夢に近づくために1年を頑張りたいなと思ってます。

今年も活躍を続ける乃木坂ちゃんや飛鳥ちゃんを糧にして自分も頑張りたいなと。

 

 

白夜月に君を想いながら。

 

 

乃木坂ちゃんにとって、飛鳥ちゃんにとって、そしてここまで読んでくださったあなたにとっても、素敵な1年になりますように。

 

読んでくださってありがとうございました。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

『センター西野七瀬』

 

お久しぶりです中の人です。

今回は「ぼくとあすか」とは全く関係の無い話をします。と言うのも、実は中の人の普段使ってるアカウントが凍結()してしまいまして、普段は鍵垢でひっそりと暮らしてるんですが、たまにはブログを書いてみようかななんて思いまして。

 

f:id:naotoasuka:20181020031753j:image

 

22枚目のシングル、「帰り道は遠回りしたくなる」が解禁されましたね。

 

今回は、この新曲を聞いて中の人が思った事をここに書いてみたいなと思っています。

 

なんでこの垢を使おうと思ったかと言うと、これから書く話は、この曲を聞いての中の人の妄想が強い内容になるからです。

 

最初に言っておきますが、これは中の人がこの曲を聞いて勝手に妄想をした話です。この解釈が正しいとかと主張するつもりは一切ありません。

曲なんて、聞いてみて、いい曲だな、いい歌詞だな、好きだな。それだけで充分だと思います。

だけど、中の人はかなりの妄想中毒故に、歌詞や、MVから、色んな事を考えてしまうんですよね。

 

ですので、考察厨を毛嫌いする人はお手数ですがこのブラウザを閉じて頂けると有難いです。

 

 

 

────────

 

前置きが長くなりました。

 

 

帰り道は遠回りしたくなる。西野七瀬がセンターをつとめる22枚目のシングル。そしてこの曲をもって、西野七瀬乃木坂46を卒業します。

 

この曲を初めて聞いた時、そしてMVを見た時、この曲は「西野七瀬の為の曲」だなって感想を持ちました。

歌詞にも、MVにも、西野七瀬が詰まっているなと。

だけど何度か聞いてるうちに、その感覚は少しだけ変わってきました。

そして、僕はこの曲をものすごく好きなんですけど、2箇所ばかりしっくりこないポイントがありました。

だから色々と妄想をして、自分なりの結論を出しました。今回はその話をしたいなと思います。

 

 

1つ目のしっくりこないポイント。

それは、サビに感じる矛盾感。

「帰り道は遠回りをしたくなるよ」と言ってるのに、その後に「新しい世界へ今行きたい」と続く。

では一体、帰り道とは何処からの帰り道で、遠回りは何を比喩してるのか。

もし仮に新しい世界への道を帰り道と言ってるのなら、何故「行きたい」と何度も繰り返すほど強く願うのに、遠回りをしたくなっているのか。

 

この曲の歌詞は、Aメロに「対比」が出てきます。

「居心地いい日向」もいつの間にか「影」になって黄昏れる

「街明かり」が寂しいとふと感じるのは「見慣れた景色」と違うから

 

だからサビの「帰り道は遠回りしたくなる」自分と「新しい世界」へ行きたい自分も、対比なのかなと思いました。

 

 

例えば友人と遊んでる時間や、例えば恋人と過ごしている時間。楽しくて、いつまでも一緒にいたい時間。

本当は他にしなければいけない事があるのに、まだここに居たい。人生の中で、誰しもがそんな経験をした事があると思います。

それは言うならば「遠回りしたくなる時間」

「新しい世界へ行きたい」自分もいるけど、「遠回りしたくなる」自分もいる。矛盾しているようだけど、どちらも本音。

 

そして彼女の「遠回りしたくなる時間」は、きっと乃木坂にいる時間。

まだ乃木坂に居たい自分もいるけど、外の世界に飛び出さないと行けないことも分かってる。

 

1番では「行きたい」と言っていたのに、2番では「行くんだ」と、自分に強く言い聞かせるように、そして何度も繰り返す事で、決心を固めてるような気がします。

 

そしてその気持ちを抱えてるのは、西野七瀬だけでは無いんじゃないかなと思います。

 

 

────────

 

僕はこの曲を「西野七瀬の為の曲」だなと言いました。

その理由は、この曲の歌詞は、彼女自身の気持ちを綴ってると感じたからです。

ハルジオンが咲く頃は、去ってくまいまいへの感謝を綴った曲。

サヨナラの意味は、ななみんが去ってく悲しみから逃れる為の方法を綴った曲。

2曲の共通点は、視点が残されたメンバーです。

 

対して今回の曲は、視点が去ってく彼女自身です。

これは今までの卒業ソングにはありませんでした。

彼女の思いを、彼女がセンターで歌う。

だから、彼女の為の曲だなと思ってました。

…最初は。

 

さて。

 

ここから更に妄想が強くなります。

 

 

この曲は、イントロに「ハルジオンが咲く頃」のメロディーが使われてます。定かではありませんが、僕は使われてると思っています。

そして、歌詞の中に「サヨナラの意味」にも出てきた『高架線』の単語や、「制服のマネキン」を思い出させる『1歩目踏み出そう』のフレーズが出てきます。

そして、MVの中で、ななみんの芸大をオマージュさせたであろう「武蔵美術工芸大学」からの合格通知や、カラオケで気づいたら片想いを歌ってそのMVの中に生駒ちゃんが映ります。

 

まいまい、生駒ちゃん、ななみん。3人の共通点は、センター経験者、そして、乃木坂を卒業したメンバーです。

 

何故この3人を意識させるような曲、MVにしたのか。

 

僕は最初、この曲は西野七瀬の視点で歌われた曲だと思ってました。

だけどそうじゃなくて、この曲は本当は、卒業していったメンバーの視点で作られた曲なのかなと考えるようになりました。

乃木坂ちゃんは卒業した子達の代わりに歌ってる。

 

この曲のMVは「パラレルワールド」を舞台としてます。

乃木坂のステージを、パラレルワールドでは乃木坂に入らなかった乃木坂ちゃん達が見ます。

 

パラレルワールドはifの話です。

だから僕も、もしもの話をしたいと思います。

 

もし、卒業していったメンバー達が、あのステージに立って、この曲を歌っていたら。

制服では無く、それぞれが今活躍している場所で着ている服を着て、この曲を踊っていたら。

そこには、生駒ちゃんも、まいまいも、ななみんもいて、ひめたんもいるし、万理華もいる。卒業していった他の子達も皆。

そしてセンターに立つのは西野七瀬

そして客席でサイリウムを振る乃木坂ちゃん。

 

卒業していったメンバー達が、今いる乃木坂ちゃんに向けて、「君と離れるのは悲しいけど、大事なお別れだ。もっともっと広い世界知らなきゃいけない。いつかきっと、違う道を選んだ意味輝く未来のためと互いに分かるだろう」と歌い、「好きだったこの場所」と歌う。

 

僕は頭がおかしいので、この妄想をして少し泣きそうになりました。

 

だから、この曲は西野七瀬の為の曲では無く、卒業していったメンバーの、そして、今後卒業していくであろうメンバーの為の曲なんだと、そう思うようになりました。

 

西野七瀬、彼女は乃木坂の中で1番多くのソロ曲を歌い、1番多くの表題曲センターを務めてきました。

もし卒業していったメンバーの曲があるとしたら、その『センター』も彼女がふさわしいのかもしれないなと思います。

 

何度も言いますが、これはあくまでも妄想です。

 

ハルジオンのメロディも、「高架線」も、「1歩目踏み出そう」も、MVの武蔵美術工芸大学の文字も、生駒ちゃんが映ったのも、全部ただの偶然かもしれない。

 

だけど思うんです。もしこれが偶然だとしたら、それは「シンクロニシティ」だなって(上手すぎる)

 

 

 

────────

 

さて、長くなりましたが、もう少しだけ書きたいと思います。

 

2つ目のしっくりこないポイントの話です。

 

この曲の中では、今まで歩んできた軌跡、そしてこれから歩む未来を「道」に例えています。

「知らない道あと何回歩けるだろう」

「風は道を選んだりはしないよ」

「運命の標識」

 

だけど、もし人生を道に例えるなら、過去は振り返る事は出来るけど、戻ることは出来ません。

時を戻すことは出来ないから。

それなのに、この曲のタイトルは「帰り道は遠回りしたくなる」です。

決して帰ることが出来ない通り過ぎてきた道を、「帰り道」と言ってる。

これがしっくりこなくて、考えました。

 

帰り道ってのは、帰る道ですよね(それはそう)

「帰り道」って言葉を使うってことは、それは「帰る場所」があるってこと。

では帰る場所は何処なのか。

 

 

僕はこの曲が本当に大好きで、大好きポイントは沢山あるんですけど、その中でも1番大好きなのが、曲が「好きだったこの場所」から始まって、「好きだったこの場所」で終わる所なんです。

 

秋元康は作詞家であり作家でありストーリーテラーです。歌詞を1つの物語として、西野七瀬の物語として考えた時に、「好きだったこの場所」の中での物語を綴り、そしてこの場所から離れる事になり、「好きだったこの場所」を振り返って完結する。

 

そして「帰り道」、つまり「帰る場所」は、「好きだったこの場所」のことだと考えました。

それはつまり「乃木坂」のことです。

それは、この場所を離れて行っても、ここは帰って来れる場所ってこと。

それはつまり、卒業しても、乃木坂はいつでも帰って来れる場所だよってこと。

勿論、帰って来れるってのはまた乃木坂に戻るとかってことじゃなくて、気持ちの上でってことです。

 

そしてそれは、西野七瀬だけじゃなくて、卒業していったメンバーも、今後卒業していくであろうメンバーも同じように。

乃木坂は、離れていっても、帰って来れる場所だよって。

 

それが、僕が勝手に出した結論です。

 

 

最後にもう一度言いますが、これは全部僕の妄想です。

この解釈があってるとは全く思ってません。

だけど、色んな考え方があっていいと思うんです。

その方が楽しみが増えると思うんです。

 

長々と読んで頂き感謝です。

もし、僕の妄想が読んでくださった貴方の琴線に少しでも触れることが出来たら幸いです。

 

ありがとうございました。

『たかが10年の片想い』

f:id:naotoasuka:20181007153650j:imagef:id:naotoasuka:20181007153656j:imagef:id:naotoasuka:20181007153653j:image

 

 

 

初めて好きな人に告白した時、初めてデートした時、初めて手を繋いだ時、初めてキスをした時、初めて身体を重ねた時。

勿論その相手は全て同じとは限りません。

だけど、その時その時のドキドキ感は、何年経っても忘れることはありません。

青春とは、「記憶」なのかなと思います。

 

僕はとんでもなく馬鹿で記憶能力が乏しいので、昨日何を食べたのかもあまりよく覚えてません。映画を見ても暫くすると内容を忘れてしまう事も多いです。

それなのに、何年も前に経験した好きな人と過ごしてドキドキした記憶や、遊んだ思い出、初めて手を繋いだ場所、未だに忘れられない思い出がいくつかあります。

それは好きな人のことだけではなく、例えば友達と馬鹿みたいに朝まで遊んだ日のことや、一緒に遊びに行った時の思い出だったり、例えば乃木坂のライブを見た時の思い出だったり。

 

そして、それは決して若い時の経験だけじゃなくて、この歳になっても、好きな人とドライブをしたり、食事をした思い出や、友人と飲んで語り合った時のこと、昨日のことは忘れてしまっていても、それらの記憶はしっかりと脳に残ってます。

多分何年たっても、大袈裟に言ってしまえば死ぬ間際まで忘れないんじゃないかなと思います。

 

年寄りは同じ話ばかりすると言います。きっと、脳が退化して記憶力が弱くなっても、忘れられない思い出がある。だからその話ばかりしてしまう。

 

そんな、死ぬまで覚えてるであろう出来事、それを「青春」と呼ぶのじゃないかなって、僕はそう思います。

 

 

────────

 

 

「あの頃、君を追いかけた」を見てきました。

 

※ここから先はがっつりとしたネタバレを含みますので、まだ映画を見てない方、ネタバレが見たくない方はお手数ですがブラウザの「戻る」を押してください。

 

 

 

 

 

山田裕貴演じる水島浩介と、齋藤飛鳥演じる早瀬真愛は、作中でどちらも疑問を抱きます。

水島浩介は、勉強を前にして「こんなことをしてなんの意味がある」と早瀬真愛に問いかけます。

早瀬真愛は、格闘をする水島浩介に対して「人と殴りあうことになんの意味があるの?」と問いかけます。

早瀬真愛は自分なりに考えてる答えを返して水島浩介を納得させた。

だけど水島浩介の返した答えは、早瀬真愛を納得させることが出来なかった。

「女は先に大人になり、男はそれに気づくことがない」

 

先程、青春は「記憶」と言いましたが、色々なことに疑問を抱き、理由を探して、理解していく。それも青春のひとつと呼べるのかなと思います。

そして2人の青春はそこですれ違ってしまい、土砂降りの中歩き出す水島浩介を、早瀬真愛は追いかけることが出来ずに、「馬鹿!ほんとに馬鹿!」と彼の背中に言葉を浴びせるのが精一杯だった。

 

過去を振り返ると、覚えてるのは決していい思い出だけではありません。

思い出すのも恥ずかしいようなことや、大切な人を傷つけてしまったこと、それらの記憶も決して忘れることがないなら、それもまた青春と呼べるのかなと思います。

 

そして、お互いを好きだったのに別々の道を歩き出した2人は、ifの話をします。

 

過去を振り返った時に、「あの時あーしてれば」と思うことは誰しもが経験した事があると思います。

 

早瀬真愛は、クラスのヒロインでした。クラスメイトの誰しもが彼女を好きでした。

好きな人に対して、「もし彼女と付き合えたなら」と妄想を膨らませたことも、誰しもが経験したことがあると思います。

 

水島浩介は、そんな多くの人が経験したことがある甘酸っぱい思い出を、僕達の代わりに体現してくれてました。

だから彼に感情移入して、そして尚更早瀬真愛を好きになる事が出来た。

 

 

さて。僕は青春は「記憶」と言いました。

過去を振り返った時に、初めて告白をした時や、初めて手を繋いだ時、それらを思い出すと、同時にその時その子を好きだった気持ちも思い出します。

記憶の中で、ずっと相手の事を好きでいます。

もしその記憶が死ぬまで残るなら、それは死ぬまで相手の事を好きだとも言えると思います。

これは決して重たい意味合いで言ってるのではなくて、好きな記憶も無くならないって事です。

上手く言えないんですけど。

 

『たかが10年の片想い』

 

これは映画につけられたサブタイトルです。

 

これは、彼女を好きになってから、彼女の幸せを祝福するまでの期間。その彼女を好きだった10年間の片想いの事を言ってるのかと思ってました。

 

だけど、きっと水島浩介は、記憶の中でこれから死ぬまで早瀬真愛を好きなんだろうなって思います。

だからここにつけられた「たかが」には、「君を好きになれて本当に良かったから、君を好きだった10年間なんて短いもんだ」って意味合いの他にも、「この先もずっと君を好きだから、その中で見たら10年なんて短いもんだ」って意味もあるのかもしれないなって、映画をみてそう思いました。

 

 

────────

 

「140字で語ってください」と言われましたが、2000文字程度になってしまいました。誤差の範囲内ですが、読んでもらえるのかは不安です()

 

────────

 

映画の感想ですが、飛鳥ちゃんの演技はどうなのかなとか、ちゃんとお芝居出来てるのかなとか、飛鳥ちゃんの事になるとどうしても俯瞰で見ることは出来なくて、冷静な感想は言えないんですけど、ただ一つだけ思えたことは、齋藤飛鳥が早瀬真愛を演じてくれて良かったなと。早瀬真愛の言葉の一つ一つが、本当に飛鳥ちゃんの言葉みたいで、それが良いか悪いのかは置いといて、早瀬真愛は飛鳥ちゃんだったなぁと思いました。

 

 

 

ここら辺にしておきます。

長くなりました。読んでくださってありがとうございました。

 

case3『隣』

f:id:naotoasuka:20180923012030j:image

 

優しい彼女は夢を見る。

どんな夢を見てるのかな。

私にとってこの時間は何よりも幸せな時間だった。

 

私はここがどんな世界なのか知らずに飛び込んだ。

どうしていればいいのかも、何をすればいいのかも、何一つ正解が分からないまま、ただ毎日泣いていた。ひたすらに泣いていた。

 

彼女は泣いている私を見て笑っていた。

最初は酷い人だと思った。だけど、私が泣いてる間はずっとそばにいてくれた。笑いながら頭を撫でて、笑いながら優しく抱きしめてくれた。

気がつくと私は、彼女にずっとそばにいて欲しいと思うようになっていた。

 

 

私は昔からよく「変わってるね」と言われる。

何が変わってるのか私には全然分からない。

私に言わせれば、変わってると言ってくる人達の方が変わってる。

 

彼女は私のことを一度も「変わってる」と言ってこない。私のことを変わった人間だと思って接してこない。1人の人間として、偏見なく私を受け入れてくれる。

私は彼女を好きになった。

 

「大好きです」

思ってることを何でも表に出してしまう私は、彼女に大好きなことを伝えた。けど、

「はいはい、ありがとね」

と軽くあしらわれた。

「本当に大好きです」

「わかったわかった」

適当に返事をしてくるけど、嬉しそうな表情をしてるのを見逃さなかった。

私はますます彼女を好きになった。

 

楽屋でも、移動中でも、彼女はいつも本を読んでいた。

「ねぇ、ちょっと走りませんか?」

私は彼女をジョギングに誘った。

「…本気で言ってるの?」

「本気です」

彼女は呆れた表情で私を見た。

「1人で走ってきなよ。私は本を読むから」

「嫌です、一緒に走りたいです」

私は強引に腕を引っ張った。

呆れ顔が次第に諦め顔になり、「あーもうわかったよ」の一言で、彼女は折れた。

「私をジョギングなんかに誘う人間はあんたが初めてだよ」

彼女はため息と同時に愚痴をこぼしたけど、私を「変わってるね」とは言わなかった。

 

私はここをどんな世界なのか知らずに飛び込んだ。

不安で怖くて泣いてばかりだったけど、沢山の優しさが私を救ってくれた。

彼女が居なかったら、私は未だに毎日泣いていたかもしれない。

 

移動車の中、隣に座る彼女が本を読み始める。

暫くすると、うとうとし始めて、ハッと目を覚まして首をぶんぶんと振り、また本を読み始める。

私はその様子を静かに見る。

暫くすると、またこっくり、こっくりと頭を前に傾ける。

それが何度か続き、ついに本をパタリと閉じて、私の肩に頭を預けて寝息を立てる。

 

優しい彼女は夢を見る。

どんな夢を見てるのかな。

私にとってこの時間は何よりも幸せな時間だった。

 

彼女は先輩だけど、私は彼女の隣にいたい。

前でも、後ろでもなくて、隣に。

 

「着きましたよ」

車が止まり、幸せそうな表情で寝ていた彼女を起こす。

「ん…ありがと…」

寝ぼけ眼をこする彼女の手を取って、そして私は歩き出す。

 

────────

 

1225文字でした(誤差の範囲内)

 

※この物語はフィクションです

 

 

────────

 

今回で考えていたお話は終わりです。

 

書き出しから「夢」をメインにした話にしようかなと考えて、「夢を見てる優しい彼女」と「歩き出す私」の関係性が乃木坂ちゃんっぽいなって思って話を考えてみました。

 

夢を「目指している夢」「探す夢」「寝てる時の夢」と分けてみて、

「夢を見る彼女」と「私」との関係性を、「ほんの少しだけ斜め後ろ」「遠くに見える背中」「隣」としてみました。

 

勝手なイメージで書いたので、違うだろと思う方もいらっしゃると思いますが、暖かい目で読んでいただけたら有難いです。

 

短いながらも久しぶりに物語的な事を考えたので、少し楽しかったです。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

case2『距離』

f:id:naotoasuka:20180915225149j:image

 

優しい彼女は夢を見ることがあったのだろうか。

女優、歌手、タレント、そして勿論アイドル。

ここは夢見がちな少女達が集まる場所だ。

その夢をはっきりと見てる人もいれば、ふわっとした気持ちでいる人もいる。目指す先が明確に分かってるのか、まだ見えてこないのか、それともまだ探してるのか。それは環境によっても変わってくる。

誰だって指先に見えるものの距離までは分かっても、月までの距離がどれくらいなのかを当てるのは難しい。

ただ、それぞれが多かれ少なかれ何かしらの夢を抱えてる中で、彼女だけは違う場所を見ているような気がしていた。

 

私はまだ夢も目標もよく分かってない時にここに来た。

だけど、周りの大人達はやたらと私に夢を持たせようとしてくる。

何になりたいのか。今年の目標はなんなのか。この先に何処を目指しているのか。

ことある事に聞かれ、その度に私は答えに悩んだ。

まるでそれを持ってないのが罪なことなのかと考えた時期もあった。

だから、彼女はどんな夢を見ているのか、少しだけ気になっていた。

 

彼女は1人でいることが多かった。

楽屋でも、端っこの方に静かに座って音楽を聞いたり、本を読んだり。

幼かった私は、彼女によくちょっかいを出した。

優しい彼女は煩わしかったであろう小娘のちょっかいにもいつも笑顔で付き合ってくれた。

私はそんな彼女が好きだった。

 

アイドルなのに、全然アイドルっぽくなくて。全然アイドルっぽくない彼女がアイドルをしているのを見るのが好きだった。

 

ある時、私が番組用のアンケートに書かれた「将来の夢は」の質問の答えが出せずに悩んでると、その様子を隣で見ていた彼女が言った。

「別に夢なんてなくても良いんだよ」

彼女の言葉に私は驚いた。

「皆、夢のためにここにいるんじゃないの?」

私の返しに彼女は少し黙って答えを考えていた。

優しい彼女は私みたいな小娘の質問でもしっかりと答えを出そうとしてくれる。

「皆、色々な想いを抱えてここに来たと思うけど、それが夢だとは限らない。ここにいる理由は、「目的」であったり、「手段」であったり。。それは人によって違うし、それに…」

彼女が言い淀んだ

「何?」

「…うん。まだ若いし、夢を見るのに焦ることはないよ」

その頃の私には彼女の言葉は難しくて全てを理解は出来なかったし、何かを言おうとして言葉を変えたような彼女の言い方が気にはなったけど、私の周りで「夢を見る必要はない」と言ってくれる人は初めてだったし、なんだか胸のつかえが降りるような気がした。

 

優しい彼女は夢を見ることがあったのだろうか。

あの時の彼女の言葉、今ならなんとなくわかる気がする。

普通の子はアイドルの中で夢を見て、目的を見つけて卒業していく。

だけど彼女は、夢の手段としてアイドルを選択して、夢を見て卒業していった。

彼女の見ている夢は他の子達よりももっともっと遠いところにあったのに、そこまでの距離をはっきりと分かっていた。

彼女だけが違う場所を見ていたような気がしていたのも、多分それが理由だったんだなと思う。

 

最近、私としては全く意識してるつもりはないのに、時々彼女に似てきたと言われる。

私は彼女を大好きだったし尊敬もしていたから、無意識の内に彼女の影を追いかけてる所もあるのかなと、それはそれで嬉しい事なのかもしれないなと、そう考えるようになった。

 

私は今夢を見ているのだろうか。

やりたいなと思うことはいくつか見つけることが出来た。

だけどそれを夢と呼ぶのはまだ気恥しいし、人前で言えるほどのものでもない。

 

私はここが大好きだ。だから今は、夢を夢だと明言することよりも、むしろここにいる事の方が私の夢なのかもしれない。

だけど私もいつか夢を見つけてここを卒業することになるんだろうな。

なんだか本当に彼女に似てきてる気がして、私は少しだけ笑った。

 

ただ今はまだその背中を追おうとは思わない。

月まで手を伸ばしてみる。その距離はまだ私には分からない。それでいい。今はまだ目の前にあるものを大切にしていたい。

 

彼女の背中を遠くに見ながら、そして私は歩き出す。

 

 

────────

 

1727文字でした(誤差の範囲内)

 

※この物語はフィクションです

case1『不並び』

f:id:naotoasuka:20180915112624j:image

 

優しい彼女は夢を見る。

どんな夢なのかを私は知らない。

 

私は小さい頃からキラキラしたものが好きだった。キラキラした服を着て、可愛いと褒められるのが何よりも嬉しかった。

褒められる事が好きな私は、勉強も頑張った。

いい点数を取って帰ると、お利口さんだねと褒めてもらえる。

自然といい高校に入り、そして華やかな看護師に憧れ、医学部を目指した。

そこまで順調に来ていた筈の人生に迷いが生じた。

浪人生活。誰からも褒めてもらえない事がつまらなくて、ふと、キラキラしたものが好きだったあの頃を思い出すようになっていた。アイドルになりたいって強い思いがあった訳じゃない。ただ、キラキラした服を着て、可愛いねと褒めてもらいたくて、私はその世界に飛び込んだ。

その世界は思い描いていたものとは少し違っていた。キラキラした光も沢山あるけど、裏側には光の当たらない影も沢山あった。キラキラした世界で笑ってる子達の明るい声を聞きながら、影で泣いた日もあった。

 

彼女はいつもキラキラしていた。ずっと表舞台で光を浴びる彼女は、羨ましくもあり、憧れてもいた。

同年齢の彼女と私は一緒になる事が多かった。彼女は決して気取らず、同じ目線で接してくる。私は彼女を好きになった。

選抜でも、彼女は隣になる事が多かった。それが私は嬉しかった。ある時、彼女がセンターに立つことになった。私はその隣。不安から流す彼女の涙を見て、支えてあげなあかんと思った。

選抜の中でも一番前に立つ彼女と私。キラキラした世界が私を待っていた。

だけどいい事はずっとは続かない。

少しづつ、彼女と私の間に差が出来てきた。彼女はいつも一番前。私は彼女の後ろ姿を見ることが多くなった。本当はその差は最初からあったのに、いつも隣にいたからそれを忘れていた。隣にいるのが当たり前やと思っていた。

私は寂しくて、現実から逃げようとした。

嫌なことがあると違う世界に行きたくなる。それは浪人時代にアイドルになろうとしたあの時と同じだった。それはいい結果を招く事もあるけど、悪い結果になる時もある。

結末は最悪だった。

慣れないお店に入って、慣れないお酒を飲んだ。

そして私は取り返しのつかない事をしてしまった。

 

彼女の顔を見るのが怖かった。だけど、

「どうして話してくれなかったの?」

彼女は私を怒った。失望もせず、呆れもせず、見放す訳でもなく、私を叱った。私に謝る余地を与えてくれた。彼女の優しさに私は泣いた。

 

毎日のように一緒に居ても、毎日好きが増していく。好きな気持ちは溢れ出て止まらなかった。

 

この世界は時々、大切な人が離れていく。

大切な人の最後の姿を、隣にいる彼女に重ねた。

いつか彼女も去っていってしまうのだろうか。想像しただけで怖くて、涙が止まらなくなった。

私は縋るような目で彼女を見た。

「そんな顔しないの」

私の気持ちを知ってか知らずか、彼女は泣いてる私を優しく抱きしめた。

 

久しぶりに2人きりの仕事があった。

ある雑誌のインタビュー。

厚顔な記者が無配慮な質問をぶつけた。

「卒業は考えてらっしゃるんですか?」

もしかしたら、あの時の私の縋るような表情の意味に、彼女は気づいていたのかもしれない。彼女は私をちらりと見て、記者の質問に笑顔で答えた。

「私はまだここでやりたい事があるので」

 

優しい彼女は夢を見る。

どんな夢なのかを私は知らない。

やりたい事がなんなのか、それを聞きたくなかった。それを知ってしまったら、それが叶った時に彼女が居なくなってしまう事も知ってしまうから。

 

そして私にも夢が出来た。

彼女の夢が叶うまで、彼女のそばにいること。

 

隣にいるとまた彼女を見失ってしまうかもしれない。

だけど、後ろにいるのは寂しいし、きっと彼女も寂しがる。

だから彼女のほんの少しだけ斜め後ろ、いつも彼女を見れる場所で、彼女の夢を見届ける。

 

「ほら、行こ」

彼女が手を差し出す。

「うん」

私は笑顔で手を握る。

 

彼女が半歩だけ前に進んだのを見て、そして私は歩き出す。

 

 

────────

 

1666文字でした(誤差の範囲内)

 

※この物語はフィクションです