diary

“Quem deseja ver o arco-íris, precisa aprender a gostar da chuva.” @pyi46

『やさしさとは』の歌詞と乃木坂の楽曲から創作する君と僕の物語(前編)

 

こんばんは。

 

今日は飛鳥ちゃんのお誕生日ですね。

飛鳥ちゃん、お誕生日おめでとうございます。

このブログは飛鳥ちゃんの誕生日とは全然全く何一つ関係のない内容になってるんですが、 飛鳥ちゃんの誕生日をお祝いしたくて勢いで書いてしまいました。

 

さて。

 

皆さんは『やさしさとは』という楽曲をご存知でしょうか。

この曲は乃木坂の7枚目のシングル『バレッタ』の収録曲で、歌唱メンバーは

生田絵梨花 中元日芽香 西野七瀬

能條愛未 橋本奈々未 松村沙友里 若月佑美

当時の乃木坂の中でも「歌声に特徴のあるメンバー」を選抜したそうです。

 

とまぁこのブログを読む人なら誰でも知ってる情報は置いておいて、僕はこの曲が大好きなんですよね。

メロディーの良さ、特徴的な歌詞、選抜メンバーに推しが多いなど好きな理由は色々あるんですが、その中でも特にこの曲を好きな理由はなんなんだろうかと考えた時に、僕はこの曲の「余白が多い所」が惹かれる理由なんだろうなと思うようになりました。

 

余白ってのは文章で言うところの行間が多いって事なんですけど、例えば曲の中で得に印象的なサビの部分でも

「やさしさとはなんなんだろう?」

と疑問を持つことで聴き手側にも同じ疑問を持たせておいて、最終的に出した結論が「答えが見つからなくてただ歩くしかなかった」と、その答えを教えてはくれない。結果的に聴き手側は各々でやさしさとはなんなんだろうかと考えるようになる。

『やさしさとは』って楽曲はこの「聴き手側が考える部分」が凄く多い曲だなって思うんです。

 

そしてこの曲はタイトルにもなってる「やさしさとは」なんなのかの答えを考える部分が1番大切だと思われがちなんですけど、実はそうではなくて、「ただ歩くしかなかった」部分がこの曲の本質なんだと、余白を埋めていく内にそう考えるようになりました。

 

何故その部分を本質だと思ってるのかについて語る前に、まずは僕がこの曲の歌詞をどう捉えてるのかについてざっくりと書きたいと思います。

 

 

君が腕に抱えてた 紙袋が破れて ラ・フランスが転がった

ふいのサヨナラなんて 心の端っこから落ちた 予測できないハプニング

一部始終を眺めてた 道のこっちで 冷静すぎたことがだめだったんだ

もっと感情的に僕が走れたら そう バスの時間に間に合った

やさしさとは何なんだろう? 君に駆け寄る速さか

それとも落ちた涙を 一緒に拾うことか

愛の意味とその価値を 僕は考えたけど

答えが見つからなくて ただ歩くしかなかった

 

 

これが1番の歌詞です。

君が抱えていた紙袋が破れてラ・フランスが落ちて転がってしまってるのを、道のこっち側から冷静に見てる僕。

彼女を眺めてやさしさとはなんなのかを考えて、答えが出なくて歩くしかなかった。

 

直訳すると訳が分からないですよね。いやいや冷静に眺めてる暇があるなら拾ってやれよと。それがやさしさだろと。そう思ってしまいます。

 

 

「やさしさとは」で検索すると割と上の方にこの曲の歌詞について考察してるブログが出てくるのでそのブログを読んだ方もいるかと思いますが、僕もあのブログの中の人と同様にこの曲の大部分は比喩なんだと思ってます。ただ解釈が少し違います。僕の解釈を書いてみたいと思います。

 

「君が腕に抱えてた紙袋」

紙袋は脆い袋です。大切に扱わないと破れてしまう。その紙袋を腕に抱えてた。

これは彼女の恋心を表してるんだと思います。

「破れてラ・フランスが転がった」

ラ・フランス洋梨(用無し)です。大切にしていた恋が終わって、自分自身が用無しの存在になった。

これは恋人に振られてしまった様子を表してるんだと思います。しかも、紙袋を抱えてた状態だった事から彼女は振られる時にはまだ彼のことを好きだったことも伝わってきます。

 「一部始終を眺めてた道のこっちで」

 二番の歌詞の中に「急に相談されたって相づち打って話を聞くくらいで逃げてただろう」とあります。この歌詞から二人は親しい友人関係、少なくとも恋愛の相談話をするくらいの仲であったことが推測できます。

このことから、一部始終と言うのは「彼女の恋が終わった瞬間」ではなくて、「彼女の恋の始まりから終わりまで」を表してるんじゃないかなと思います。彼は道を挟んでいることから距離を取った状態、一歩引いた状態で彼女の恋愛をずっと眺めていた。

そして彼はそのことを「冷静すぎたことがだめだったんだ」と悔やんでます。 

「もっと感情的に僕が走れたらそうバスの時間に間に合った」 と。

バスは目的地まで運んでくれるものです。この部分も余白が多くて色んな解釈が出来ると思いますが、僕はこのバスに乗ろうとしていたのは彼女の方だと思います。

彼女の目的、バスに乗ることはこの恋愛が上手くいくことだったと思います。つまり、彼が一歩引いた状態ではなく、もっと感情的に行動することが出来ていたら、彼女の恋は上手くいくことが出来たと、そう彼は悔やんでいるのです。

 

そしてサビに入ります。

「やさしさとはなんなんだろう?」

僕は「君に駆け寄る速さ」も「落ちた涙を一緒に拾うこと」もやさしさだと思います。だけど彼はそれがやさしさだとは思えなくなっていた。だから答えが見つからなくてただ歩くしかなかった。

ではなぜ彼はそれをやさしさだと思えなくなっていたのでしょうか。

 

もう少し考察していきます。

 

だけど君は淡々と アスファルトにしゃがんで ラ・フランスを集めてた

取り返しのつかない 失敗してしまったように まわりのみんなは憐れんだ

急に相談されたって 相づち打って 話を聞くくらいで逃げてただろう

愛を客観的に語ることなんて そう今の僕には できやしない

やさしさとは何なんだろう? 君を慰めることか

あるいは涙のわけを 何も聞かないことか

今さらどうすればいいか 誰か教えてくれよ

正しい答えじゃなくて 今信じられることを

 

「だけど君は淡々とアスファルトにしゃがんでラ・フランスを集めてた」

振られた辛さや悲しさを周囲には見せずに気丈にふるまう彼女。

「取り返しのつかない失敗してしまったように」

理由は後述しますが、僕はこの物語は高3の冬に起きた出来事だと思っています。

「まわりのみんな」は同級生です。同級生は彼女の恋愛を知っていた。そして、彼女が振られたことも知った。「憐れんだ」は、いつものように明るくふるまう彼女の姿を見た同級生たちの同情心だと思います。

「愛を客観的に語ることなんてそう今の僕にはできやしない」

彼は今の自分には愛を客観的に語る余裕がないと言っています。何故なのか。これは一番の「もっと感情的に僕が走れたら」に繋がってくるんだと思います。

彼は感情的に走ることが出来なかったことを「冷静すぎたことがだめだったんだ」と後悔している。それは彼女への負い目です。彼は自分がもっと感情的に動くことが出来たら彼女はきっと「バスの時間に間に合った」と考えている。彼は彼女の恋を終わらせた原因は自分にもあると考えている。だから彼女の相談を聞けなかった。彼女への罪悪感が、彼を彼女から逃げさせていた。

 

「やさしさとは何なんだろう?」

「君を慰めること」も「涙のわけを何も聞かないこと」もやさしさです。

だけど彼にはそれが出来なかった。彼女の恋愛が終わってしまった今、いまさらそんなことは出来ない。だから彼は、「正しい答えじゃなくて今信じられることを」誰かに教えてほしいと訴えます。

 

 

声を掛けないまま 君を見送るだけ

その方が僕らは しあわせなんだ

小さな後悔で 時が過ぎて行くのならば

思い出すのはやめにして 孤独を選ぼう

 

きっと彼はやさしさが何なのかは分かってます。

それは今すぐに君に駆け寄って、涙を拾って、慰めて、涙の理由を追求せずに、ただ君のそばに寄り添うことだと。

だけどそれは出来ない。何故なら彼は「道のこっちで冷静すぎた」から。

もうやさしさの本当の答えは出てるんです。それは「もっと感情的に」動くことだった。それが出来なかった時点で、彼はいまさらどんなにやさしさの答えを導き出した所で彼女に声をかけることが出来なくなっていた。

声を掛けない方がぼくらはしあわせだと。小さな後悔は思い出さないようにして孤独を選ぼうと自分に言い聞かせた。

 

そして、彼は「やさしさとは何なんだろう?」の答えが何なのかは分かっていたのに、やさしさを出せずに「ただ歩くしかなかった」

 

 

これが僕の『やさしさとは』の解釈です。

 

何故彼は「道のこっちで冷静すぎた」んでしょうか。その理由はきっと「彼も彼女のことが好きだったから」

彼はずっと彼女が好きで、だけどその気持ちは伝えられずに、彼女の恋の相談にも乗っていた。だから自分の気持ちを抑えて一歩引いて道のこっちにいた。

そして彼女が振られた今、彼女を好きな気持ちを抑えながら彼女を慰めることなんか「今の僕にはできやしない」と考えた。

だから彼は「ただ歩くしかなかった」のかなと思います。

 

好きな気持ちを伝えられないままに、自分自身の恋も終わって孤独を選んで歩くしかなかった。

凄く切ないなって思います。

 

ただこの解釈をすると、この曲にはまだ余白があります。

何故彼は「冷静すぎたことがだめだったんだ」と考えるようになったのか。何故彼は「もっと感情的に僕が走れたら」彼女は「バスの時間に間に合った」と考えたのか。

なんでだろうなって考えて、僕なりにもっと余白を埋めてみました。

そして余白を埋めた結果、『やさしさとは』は「僕が君と出会って恋に落ちて思いを伝えられないままその恋が終わる高校三年間の物語」になってしまいました。

 

長くなったので前半部分はここまでにします。

後半はそんな僕と君の物語を書いてみたいと思います。もし興味を持ってくれたら後半も読んで下さると嬉しいです。

ありがとうございました。