守りたかった愛に代わるものは何なのかを考える
お久しぶりです。
今回は「サヨナラの意味」の歌詞についての考察を書きたいと思います。
かなり飛躍してますので、そこを理解した上で読んで頂けるとありがたいです。
と言うのも、最近やってる質問箱の中に
こんな質問が来まして。
僕自身「サヨナラの意味」ってタイトルでお話を書いたにも関わらず(宣伝)、この歌詞について深く考えたことなかったなぁと思いまして。
「愛に代わるもの」をストレートに捉えるなら、それは恐らく
「愛に代わるもの」=「愛に代えられる存在」=「橋本奈々未」
で、守りたかったものは橋本奈々未って意味だと思います。
だけど「愛に代わるもの」ってなんかややこしくて分かりにくい表現だと思いませんか?
それに「守りたかった」ということは「守れなかった」ということ。卒業する彼女の事を「守れなかったもの」と表現するのにも少し違和感を感じます。
だから違う考え方をしてみました。
愛は何について言ってるのか
愛に代わるものはなんなのか
何故守りたかったのか
何故守れなかったのか
まずは、この歌は誰が誰に向けて歌ってる歌なのかを考えてみたいと思います。
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この歌には「僕」と「君」2人の人物が登場します。
そしてどちらかがどちらかに別れを告げます。
最初に聞いた時は「僕」が「君」に別れを告げたのかと思ってました。
橋本奈々未がセンターで「サヨナラに強くなれ」と歌うので、この言葉は彼女からメンバーへの言葉だと思ったからです。
だけど歌詞の中に
「後ろ手でピースしながら歩き出せるだろう、君らしく…」
とあります。「後ろ手でピースしながら歩き出す」のは「君」で、「僕」はそれを見送る立場です。
もしこの歌を最初から最後まで視点が変わらない一人称視点の歌だと仮定すると、別れを告げたのは「君」、それを聞いたのが「僕」になります。
分かりやすくするために、別れを切り出す「君」を橋本奈々未、それを聞く「僕」を齋藤飛鳥と仮定します。
本来は「僕」は残されたメンバーの事ですが、齋藤飛鳥にしたのは推し補正です()
この曲の舞台は高架線の下です。
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足元の石ころを右の靴の横脇で蹴飛ばした。
石は無表情にコロコロと転がる。
そこに私の意思が反映されたかのように。
私はその石を眺めながら軽く息を吐いた。
吐いた息は白く可視化され、、まるで私の周囲を二酸化炭素で埋めつくしてる事を責められてるような気がして、無意識に呼吸が浅くなる。
冬の寒さは肌に突き刺さるような痛みと代わる。両手はコートのポケットから出るのを拒否していた。
私は冬が好きじゃない。
暖かい部屋で暖かいコーヒーを飲みながら本を読む時間は好きだ。
だけど残念ながらこの人通りもほとんどない細い路地沿いには、暖かい部屋も暖かいコーヒーも大好きな本も存在しなかった。
少しだけ空気が変わる気配がした。足元から振動を感じる。遠くの方から大きな鉄塊が重たい車体をレールに擦り合わせながら近づいてくる音がした。
私は電車が近づく気配が好きで、目を閉じ耳を澄ましてその時間を感じた。
電車が風を引き連れて高架を通過する。その一瞬だけ、違う時間が流れていくような気がした。
目を開けて顔を足元から前に上げると、目線の先には規則的に並べられた高架が続いていた。
どこぞの若者が集団で気を大きくして書いたのだろうか、それとも深夜に1人で人目を憚って書いたのだろうか。私の目の前にある高架にはスプレー缶を使った謎の落書きが施されていた。
はたして世間はこれを芸術と呼ぶのだろうか。
私は意味の分からない英単語の羅列とヒップホップ風の格好をしてこちらを睨む男性を眺めながら考えた。
アメリカイズムでポップなこの落書きは、確かに見る人によってはカッコよくてお洒落なのかもしれない。だけど私はこのもしかしたらアートと呼べる代物を目の当たりにしてもさりとて特別な感情を抱くことはなかった。
それよりも、腰のあたりに書かれた数字とイニシャルが目に止まった。私がここから何かを読み解く事は到底無理な話だけど、きっとこの数字とイニシャルには何かしらの意味があり、誰かが誰かに何かを残したのだろうと思った。
柱の落書き、数字とイニシャルは、誰が誰に何を残そうとしたのだろうと、私は書き手の気持ちを想像した。
私は今まで芸術とは何なのかを深く考えたことはなかったけど、もし芸術を「受け手側に何かしらの感情を抱かせる」ものだとするのなら、この眼前に広がる綺麗に描かれたポップなアートよりも、隅っこに小さく書かれた柱の落書きの方が私には芸術と呼べるのかもしれない。
「おまたせ」
答えの出ない落書きに込められた背景を考えあぐねいていたら、背後から声をかけられた。
「大丈夫、私も今来たところだから」
私の言葉にななみが軽く笑う。
「なんで笑うんだよ」
「前だったら「遅いー」って膨れっ面で文句言ってきただろうなって考えると、あすかも大人になったなって思って」
「何それ、そんな事言わないよ」
「ほら、膨れっ面」
私は無意識に頬を膨らませていたらしい。それを見てななみはケラケラと笑った。
私は膨れっ面をしながらも、笑うななみを複雑な感情で見ていた。
ななみに呼び出されるなんて、滅多に無いことだった。いや、過去を振り返っても1度も無かったかもしれない。
珍しい事が起きる時は、大抵がとてもいい知らせか、とても悪い知らせのどちらかだ。
そして、今回は悪い知らせのような、そんな気がしてならなかった。
「こうやって会うのは珍しいよね」
「そうかな?」
ななみはとぼける。分かってるくせに。
「5年近く一緒に居たのに、わざわざ外で待ち合わせて2人で会うことなんか、少なくとも私の記憶には無いよ」
5年も一緒に居たのに、外で待ち合わせて2人で会ったことが無かった事に、私は自分で言葉にしながら驚いた。
年齢も性格も生まれも育った環境も夢も目標も全く違う私達が、その日に出会い、共に過ごすことになった。
協調性の欠片もない私が境遇の異なる子達とやっていけるのか、不安は大きかった。不安しかなかった。
それなのに私は今、目の前にいるななみの言葉を、悪い話だと勝手に想像し、聞くことを拒否したくなっている。
5年も一緒に居たにも関わらず外で会ったことが1度も無かったのに、それだけななみが私の中で大きな存在になってる。
特別な事をしてなくても、過ぎ去った普通の日々がかけがえのない時間なのかもしれないなと、そう思った。
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あくまでも僕の勝手な解釈ですが、1番のサビ前までを要約()すると、こんな感じになるんじゃないかなと考えました。
しつこいようですが僕の勝手な妄想ですので、「あすか」と「ななみ」は架空の人物って意味合いを込めて平仮名表記しています。
そしてサビに入りますが、1番ではまだはっきりと「サヨナラ」は告げられてないので、サビの考察は後にしてもう少し掘り下げてみたいと思います。
2番は、ななみがあすかに「サヨナラ」を告げる所から始まります。
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私の複雑な表情を見て、ななみは少し困ったような顔をした。
「あのさ、あすかに言っておきたい事があって」
「うん」
「あのさ…」
ななみが言葉に詰まった。その言葉を言うのを、身体が拒否してるように見えた。
空気が変わった。電車が来るな、と思った。
いつもはこの気配を楽しむのに、今はななみの口元から目が離せないでいた。
そのタイミングを待っていたのかのように、電車が通過する轟音と風の中で、ななみの唇が動いた。
ずるいよ。聞こえないよ。
電車が置いていった風が、ななみの髪をふわりと動かした。電車が私達の周りの雑音も一緒に持っていったかのように、この場所だけやけに静かになった気がした。
ななみは何も言わずに私をずっと見て、私が言葉を発するのを待っている。
私達は永遠に一緒にいられる訳じゃない。
いつかこんな日が来るのは分かっていた。
その為の心構えもしていた。
大切な人が遠ざかっても、いつかきっとまた大切な人と出会う。
だから私は、ななみの目を見て、微笑みながら頷いた。
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ななみに「サヨナラ」を告げられたあすかは、サビの中で「サヨナラに強くなれ」と言います。
この歌が残された僕視点から見た歌だとするなら、「サヨナラに強くなれ」って言葉は、僕が僕に言ってる、自分自身に言ってる言葉になります。
つまりこの曲は、去っていくななみが残されたあすかに向けて歌う曲ではなく、残されたあすかから去っていくななみに向けて歌われた曲でもなく、残されたあすかが自分自身に向けて歌ってる曲ということになります。
卒業する彼女を祝福する曲でも、感謝を込めて笑顔で見送る曲でも、いなくなる寂しさを伝える曲でもない。
橋本奈々未の存在が消えてしまう事への心の整理がつかずに、そんな中でも心を保つ為に、「サヨナラに強くなれ」と自分自身に言う、そんな曲です。
「サヨナラに強くなれ、この出会いに意味がある」
「始まりはいつだってそう何かが終わること」
「サヨナラを振り向くな、追いかけてもしょうがない」
「僕達は抱き合ってた腕を離してもっと強くなる」
「サヨナラは通過点、これからだって何度もある」
そう思ってサビを見ると、僕にはこの言葉が全て「つよがり」に見えます。
本当はサヨナラなんてしたくない。だけどそれを伝えても仕方の無いことだってことは分かってる。だから私は微笑みながら頷いた。だけど、だけど本当はサヨナラなんてしたくないんだ。
そんな心の声が聞こえてくる気がします。
実はこの曲の中で、「僕」は「君」に対して一言も言葉を発してません。
君の唇が動いた時は、目を見て微笑みながら頷くことしか出来なかった。
そしてCメロでは
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ななみは私の言葉を待っていた。
いつかこんな日が来ることは分かってた筈だし、今日ここに呼ばれた時点でこんな話になる覚悟もしていた。
だけど、言葉が出てこなかった。
ななみのサヨナラを受け入れる自分を、ななみと別れるのが嫌な自分が拒否してくる。
躊躇してた間に、陽は沈み辺りは暗くなり、遠くにみえる鉄塔も輪郭がぼやけてきていた。
サヨナラはしたくないけど、ちゃんと言わなくちゃいけない。
だけど…
私はななみを見つめながら大粒の涙を零していた。
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僕は「見つめあった瞳が星空になる」
は、涙を流すって意味だと勝手に思ってます。
あすかは、ななみからの「サヨナラ」に、微笑みながら頷く事しか出来なかった。
受け入れるのに精一杯で、言葉を発する余裕が無かった。
頭では言わなくちゃいけないと分かっていたけど、結局泣いてしまった。
僕はこの歌は、まだ心の整理が出来てない状態の心情を歌った曲だと思ってます。
「過去」でも「未来」でもなく、「現在」を歌った曲だと。
だから、ななみを送り出す余裕も過去を懐かしむ余裕もなく、「サヨナラに強くなれ」と自分に言い聞かせる事しか出来てないんだと。
前述した通り、この曲はななみに対する曲ではなく自分自身へ向けられた曲だと思ってます。だけど、それがそれだけななみの存在が大きかったって事にも繋がってるんだと思ってます。
そして質問の答えになるんですが、「守りたかった愛に代わるもの」とは何なのか。
この歌は、残されたあすかが自分自身に向けて歌った曲だと言ってきました。だからこの部分も、ななみへ向けての歌詞ではなく、自分自身へ向けての歌詞だと捉えます。
「愛」はななみへの感情だと思います。それはななみを好きとかって単純な事ではなく、それも勿論あるんですが、ななみからの「サヨナラ」に対して、自分の感情を優先させずにサヨナラを受け入れて笑顔で見送る行為、それが「愛」なんだと思います。
そして「愛に代わるもの」ですが、「愛」が「サヨナラを受け入れる事」だとしたら、それに代わるものはこの歌そのものだと思います。つまり、サヨナラを受け入れる為に、「サヨナラに強くなれ」と自分自身に言い聞かせる行為。
まとめると、ななみを笑顔で見送る為に、自分自身にサヨナラに強くなれと言い聞かす。
それが「愛に代わるもの」だと考えました。
だけどこの歌詞には「守りたかった」がついてきます。
それはつまり守れなかったと言うこと。
僕の解釈からいくと、「ななみを笑顔で見送る為に、サヨナラに強くなれと自分自身に言い聞かせた。だけど無理だった」と、そうなってしまいます。
僕は、この曲は大サビに1番大切な歌詞があると思ってます。
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大粒の涙を零す私を、ななみが抱きしめる。
泣いてる場合なんかじゃない。これじゃただななみを困らせるだけだ。別れは仕方の無い事なんだ。
両手をぐいと伸ばして、ななみを身体から引き離す。
ちゃんと言おう。
顔を上げると、ななみが優しい表情で私を見ていた。
ななみはいつだって優しく私を見ていてくれた。
まだ子供で幼くてジコチューだった時も、思春期になり硬い殻に閉じこもりそうになってしまった時も、優しく見ていてくれた。ななみは私の光だ。協調性の欠片も無い私が今こうしていられるのも、ななみがいてくれたからだ。
私は1度身体を離したななみに、もう一度抱きついた。
「…いやだ」
私はサヨナラには強くなれない。
本当の気持ちを問いかけて分かった。
ななみを失いたくない。
「いやだ」
私はななみに抱きついて、泣きながら駄々をこねた。
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「サヨナラに強くなれ」とずっと言い聞かせてきたけど、最後の最後にもう一度君を抱きしめて本当の気持ちを問いかけたら、「失いたくない」って答えになってしまった。そして「守りたかった愛に代わるもの」と続いて、歌は終わります。
だから、僕のこの歌の解釈は、「ななみを笑顔で見送る為に、サヨナラに強くなれと自分自身に言い聞かせた。だけど無理だった。やっぱり失いたくない」
そうなります。
この歌は「つよがり」であり、「わがまま」な曲なんです。
だけど、その裏にはどれほどななみの存在が大きかったのかが隠れています。
感謝の気持ちも別れの言葉も旅立ちにかける言葉もない。
ななみはそんなものがなくても「後ろ手でピースしながら歩き出せる」事は分かってるから。
分かってるけど、サヨナラはしたくない。
そんな曲なんだと思いました。
長くなってしまいました。
質問の答えですが、
「守りたかった愛に代わるもの」
を僕なりにまとめると、
「やめるな…ばか…」
になります。
それはつまり、「飛鳥ちゃん可愛い」って事です。
何度も言いますが、これは誇大解釈した勝手な妄想です。「それは違う」とか「この考え方はおかしい」って思われる方がいるのも重々承知しています。ただ、本当の答えは秋元康にしか分かりません。歌詞から色んな事を想像するのも、楽しみの一つだと思ってもらえたら有難いです。
読んでくださってありがとうございました。