『センター西野七瀬』
お久しぶりです中の人です。
今回は「ぼくとあすか」とは全く関係の無い話をします。と言うのも、実は中の人の普段使ってるアカウントが凍結()してしまいまして、普段は鍵垢でひっそりと暮らしてるんですが、たまにはブログを書いてみようかななんて思いまして。
22枚目のシングル、「帰り道は遠回りしたくなる」が解禁されましたね。
今回は、この新曲を聞いて中の人が思った事をここに書いてみたいなと思っています。
なんでこの垢を使おうと思ったかと言うと、これから書く話は、この曲を聞いての中の人の妄想が強い内容になるからです。
最初に言っておきますが、これは中の人がこの曲を聞いて勝手に妄想をした話です。この解釈が正しいとかと主張するつもりは一切ありません。
曲なんて、聞いてみて、いい曲だな、いい歌詞だな、好きだな。それだけで充分だと思います。
だけど、中の人はかなりの妄想中毒故に、歌詞や、MVから、色んな事を考えてしまうんですよね。
ですので、考察厨を毛嫌いする人はお手数ですがこのブラウザを閉じて頂けると有難いです。
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前置きが長くなりました。
帰り道は遠回りしたくなる。西野七瀬がセンターをつとめる22枚目のシングル。そしてこの曲をもって、西野七瀬は乃木坂46を卒業します。
この曲を初めて聞いた時、そしてMVを見た時、この曲は「西野七瀬の為の曲」だなって感想を持ちました。
歌詞にも、MVにも、西野七瀬が詰まっているなと。
だけど何度か聞いてるうちに、その感覚は少しだけ変わってきました。
そして、僕はこの曲をものすごく好きなんですけど、2箇所ばかりしっくりこないポイントがありました。
だから色々と妄想をして、自分なりの結論を出しました。今回はその話をしたいなと思います。
1つ目のしっくりこないポイント。
それは、サビに感じる矛盾感。
「帰り道は遠回りをしたくなるよ」と言ってるのに、その後に「新しい世界へ今行きたい」と続く。
では一体、帰り道とは何処からの帰り道で、遠回りは何を比喩してるのか。
もし仮に新しい世界への道を帰り道と言ってるのなら、何故「行きたい」と何度も繰り返すほど強く願うのに、遠回りをしたくなっているのか。
この曲の歌詞は、Aメロに「対比」が出てきます。
「居心地いい日向」もいつの間にか「影」になって黄昏れる
「街明かり」が寂しいとふと感じるのは「見慣れた景色」と違うから
だからサビの「帰り道は遠回りしたくなる」自分と「新しい世界」へ行きたい自分も、対比なのかなと思いました。
例えば友人と遊んでる時間や、例えば恋人と過ごしている時間。楽しくて、いつまでも一緒にいたい時間。
本当は他にしなければいけない事があるのに、まだここに居たい。人生の中で、誰しもがそんな経験をした事があると思います。
それは言うならば「遠回りしたくなる時間」
「新しい世界へ行きたい」自分もいるけど、「遠回りしたくなる」自分もいる。矛盾しているようだけど、どちらも本音。
そして彼女の「遠回りしたくなる時間」は、きっと乃木坂にいる時間。
まだ乃木坂に居たい自分もいるけど、外の世界に飛び出さないと行けないことも分かってる。
1番では「行きたい」と言っていたのに、2番では「行くんだ」と、自分に強く言い聞かせるように、そして何度も繰り返す事で、決心を固めてるような気がします。
そしてその気持ちを抱えてるのは、西野七瀬だけでは無いんじゃないかなと思います。
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僕はこの曲を「西野七瀬の為の曲」だなと言いました。
その理由は、この曲の歌詞は、彼女自身の気持ちを綴ってると感じたからです。
ハルジオンが咲く頃は、去ってくまいまいへの感謝を綴った曲。
サヨナラの意味は、ななみんが去ってく悲しみから逃れる為の方法を綴った曲。
2曲の共通点は、視点が残されたメンバーです。
対して今回の曲は、視点が去ってく彼女自身です。
これは今までの卒業ソングにはありませんでした。
彼女の思いを、彼女がセンターで歌う。
だから、彼女の為の曲だなと思ってました。
…最初は。
さて。
ここから更に妄想が強くなります。
この曲は、イントロに「ハルジオンが咲く頃」のメロディーが使われてます。定かではありませんが、僕は使われてると思っています。
そして、歌詞の中に「サヨナラの意味」にも出てきた『高架線』の単語や、「制服のマネキン」を思い出させる『1歩目踏み出そう』のフレーズが出てきます。
そして、MVの中で、ななみんの芸大をオマージュさせたであろう「武蔵美術工芸大学」からの合格通知や、カラオケで気づいたら片想いを歌ってそのMVの中に生駒ちゃんが映ります。
まいまい、生駒ちゃん、ななみん。3人の共通点は、センター経験者、そして、乃木坂を卒業したメンバーです。
何故この3人を意識させるような曲、MVにしたのか。
僕は最初、この曲は西野七瀬の視点で歌われた曲だと思ってました。
だけどそうじゃなくて、この曲は本当は、卒業していったメンバーの視点で作られた曲なのかなと考えるようになりました。
乃木坂ちゃんは卒業した子達の代わりに歌ってる。
この曲のMVは「パラレルワールド」を舞台としてます。
乃木坂のステージを、パラレルワールドでは乃木坂に入らなかった乃木坂ちゃん達が見ます。
パラレルワールドはifの話です。
だから僕も、もしもの話をしたいと思います。
もし、卒業していったメンバー達が、あのステージに立って、この曲を歌っていたら。
制服では無く、それぞれが今活躍している場所で着ている服を着て、この曲を踊っていたら。
そこには、生駒ちゃんも、まいまいも、ななみんもいて、ひめたんもいるし、万理華もいる。卒業していった他の子達も皆。
そしてセンターに立つのは西野七瀬。
そして客席でサイリウムを振る乃木坂ちゃん。
卒業していったメンバー達が、今いる乃木坂ちゃんに向けて、「君と離れるのは悲しいけど、大事なお別れだ。もっともっと広い世界知らなきゃいけない。いつかきっと、違う道を選んだ意味輝く未来のためと互いに分かるだろう」と歌い、「好きだったこの場所」と歌う。
僕は頭がおかしいので、この妄想をして少し泣きそうになりました。
だから、この曲は西野七瀬の為の曲では無く、卒業していったメンバーの、そして、今後卒業していくであろうメンバーの為の曲なんだと、そう思うようになりました。
西野七瀬、彼女は乃木坂の中で1番多くのソロ曲を歌い、1番多くの表題曲センターを務めてきました。
もし卒業していったメンバーの曲があるとしたら、その『センター』も彼女がふさわしいのかもしれないなと思います。
何度も言いますが、これはあくまでも妄想です。
ハルジオンのメロディも、「高架線」も、「1歩目踏み出そう」も、MVの武蔵美術工芸大学の文字も、生駒ちゃんが映ったのも、全部ただの偶然かもしれない。
だけど思うんです。もしこれが偶然だとしたら、それは「シンクロニシティ」だなって(上手すぎる)
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さて、長くなりましたが、もう少しだけ書きたいと思います。
2つ目のしっくりこないポイントの話です。
この曲の中では、今まで歩んできた軌跡、そしてこれから歩む未来を「道」に例えています。
「知らない道あと何回歩けるだろう」
「風は道を選んだりはしないよ」
「運命の標識」
だけど、もし人生を道に例えるなら、過去は振り返る事は出来るけど、戻ることは出来ません。
時を戻すことは出来ないから。
それなのに、この曲のタイトルは「帰り道は遠回りしたくなる」です。
決して帰ることが出来ない通り過ぎてきた道を、「帰り道」と言ってる。
これがしっくりこなくて、考えました。
帰り道ってのは、帰る道ですよね(それはそう)
「帰り道」って言葉を使うってことは、それは「帰る場所」があるってこと。
では帰る場所は何処なのか。
僕はこの曲が本当に大好きで、大好きポイントは沢山あるんですけど、その中でも1番大好きなのが、曲が「好きだったこの場所」から始まって、「好きだったこの場所」で終わる所なんです。
秋元康は作詞家であり作家でありストーリーテラーです。歌詞を1つの物語として、西野七瀬の物語として考えた時に、「好きだったこの場所」の中での物語を綴り、そしてこの場所から離れる事になり、「好きだったこの場所」を振り返って完結する。
そして「帰り道」、つまり「帰る場所」は、「好きだったこの場所」のことだと考えました。
それはつまり「乃木坂」のことです。
それは、この場所を離れて行っても、ここは帰って来れる場所ってこと。
それはつまり、卒業しても、乃木坂はいつでも帰って来れる場所だよってこと。
勿論、帰って来れるってのはまた乃木坂に戻るとかってことじゃなくて、気持ちの上でってことです。
そしてそれは、西野七瀬だけじゃなくて、卒業していったメンバーも、今後卒業していくであろうメンバーも同じように。
乃木坂は、離れていっても、帰って来れる場所だよって。
それが、僕が勝手に出した結論です。
最後にもう一度言いますが、これは全部僕の妄想です。
この解釈があってるとは全く思ってません。
だけど、色んな考え方があっていいと思うんです。
その方が楽しみが増えると思うんです。
長々と読んで頂き感謝です。
もし、僕の妄想が読んでくださった貴方の琴線に少しでも触れることが出来たら幸いです。
ありがとうございました。