diary

“Quem deseja ver o arco-íris, precisa aprender a gostar da chuva.” @pyi46

「孤独」と「糸」と「選抜発表」

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孤独とは、他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す。

「自分がひとりである」と感じる心理状態を孤独感という。クラーク・ムスターカス(英語版)が「孤独感には自己疎外・自己拒否からくる孤独と、実存的孤独がある」と述べているように、孤独と、それに伴う孤独感には自分と他者・世界との関係で捉えたものや、人間の存在そのものから来る孤独感など様々な視点がある。

たとえば、深山幽谷にたった一人でいる場合だけではなく、大勢の人々の中にいてなお、自分がたった一人であり、誰からも受け容れられない・理解されていないと感じているならば、それは孤独である。この主観的な状況においては、たとえ他人がその人物と交流があると思っていても、当人がそれを感じ得なければ、孤独といえる。この主観的な状況においては、たとえ他人がその人物と交流があると思っていても、当人がそれを感じ得なければ、孤独といえる。

(Wikipediaより引用)

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先日、パンバスを見に行って来ました。

予告の中で独特の恋愛観と銘打たれてましたが、ふみの恋愛観、或いは人生観の中の1つのテーマに「孤独」があったと感じました。

ふみは映画の中で

「私は一人になりたくなっちゃう人なんだと思う、寂しくありたいんだと思う」と言います。

 

僕は、人を何かで例えるとするなら、「糸」なんじゃないかなと思います。

沢山の糸が絡み合い、綺麗な模様を作ったり、様々な姿になったり、時には縺れたりするけど、紐解いて行くと1本の糸に戻る。

どんなに複雑に絡み合っても、決して絵の具のように混ざり合う事は無い。

 

当たり前ですが、自分が考えてる事が分かるのは自分だけです。

だけどそれってとても寂しい事で、だから人は誰かに自分を分かって欲しくて色々なサインを出します。

そのシグナルの強さは人によって違って、中には自分の考えを誰にも知られたくないって人もいれば、多くの人に知ってもらいたいと思う人もいます。

 

また、思考の中には、どす黒くて汚い思いもあれば、偽善的思考もあれば、純粋な感情もあります。

自分の綺麗な部分だけを知って欲しい人もいれば、汚い部分も全てさらけ出したい人もいます。

 

自分の思考の中からまず相手に知って貰いたい事を探し出して、知られたくない事を隠しながら、分かってもらえるように伝える。

それって結構な重労働で、めんどくさかったり疲れたりして放棄してしまいたいなと思う事もあります。

 

僕はそんな時、1人でいる方が楽だなと思います。

それに対して孤独を感じる事はありません。

だけど1人でいる事を寂しく感じる時もあります。

楽しそうに集まってる人達の輪に僕も入りたいなと思う事もあります。

誰かの温もりが欲しいなと思う時もあります。

だけど、集団の中に入ると時間が経つにつれて「1人になりたいな」と感じてしまいます。

 

「1人になりたくなっちゃう人」で、「寂しくありたい」

 

ふみのこのセリフは、なんだか僕の事を言ってるみたいだなと思いました。

 

人を信頼するのはとても難しい事です。

信頼とは、今ではなく未来に対してするものだから。

ふみは、相手にずっと好きでいてもらえる自信が無かったといます。だから相手を信頼する事が出来なかったと。

相手を信じれなかった訳では無くて、自分に自信が無いから、結果相手を信頼出来なかった。

 

これも僕の事を言われてるみたいで胸に刺さりました。

 

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さて、選抜発表がありましたね。

 

今回の選抜発表の中で、飛鳥ちゃんが涙を流してるのがとても心に残りました。

飛鳥ちゃんは何を考えていて、何に泣いたんだろうか、それをずっと考えていて、今回ブログが書きたいなと思った次第です(前置きがなげぇ)

 

 

飛鳥ちゃんは選抜発表の中でこんな事を言ってます。

「普通の人が学ぶであろう事を学ばずに来た」

「どうしたらいいのか分からないなって思った時に、その選択の1つが私は本を読む事だった」

「けど、本を読んでも…分からない」

 

僕は、飛鳥ちゃんが暗くてドロドロとした本を好きだと言うのは、飛鳥ちゃんは自分の事をどす黒い感情を持つ人間だと思ってしまっていて、本を読む事でバランスを取ろうとしてるんじゃないかなって思った事があります。

同年代の子達と過ごす時間が少なかったせいで、自分の持つ汚い感情を抱える負担が大きかった。こんなに汚い感情を持ってるのは自分だけなんじゃないのだろうかと勘違いしてしまった。そんな1面もあるんじゃないかなって。

 

喧嘩したり悩みを相談する友人の代わりが本だった。

 

少し前、飛鳥ちゃんからモバメで
「皆さんの中のわたしと
わたしの中のわたしが一致してないなと
そういう感覚が生まれておりまして。」
と送られて来ました。

だけど、「わたしの中のわたし」がどんなものなのかは、その時も、その先も、飛鳥ちゃんは教えてくれませんでした。
飛鳥ちゃんが、辛い時、悩んでる時、誰かに相談して解決したってエピソードを僕はほとんど知りません。
僕は飛鳥ちゃんは頭のいい子だと思ってます。
自分の考えを伝える事の難しさを、相手が理解してくれる事の難しさを分かってる。それを物凄く難しい事だと思っているから、簡単には口にしない子なんじゃないかなと思ってます。

 

ただ、自分が理解されない事への葛藤や寂しさは消えない。

本当は悩みを打ち明けたい感情もある。

だけどその難しさを考えてしまい、やっぱりやめようとなり、本を読む。

 

飛鳥ちゃんは以前BRODYのインタビューの中で

「1人で部屋にいることは寂しくない。大勢でいる時の方が孤独を感じる」と答えてます。

 

ふみのセリフを聞いて、飛鳥ちゃんも、「1人になりたくなっちゃう」人で、「寂しくありたい」人なのかもなって思いました。

 

 

人は多かれ少なかれ孤独を抱えて生きていると思います。

孤独との付き合い方は人それぞれで、向き合う人もいれば、逃げる人もいる。

 

飛鳥ちゃんやパンバスのふみは、孤独と寄り添う道を選んだのかなって。

 

だけど、実は飛鳥ちゃんって凄く人の事が好きな子なんだと思うんです。

人の事が好きなのに、人に理解される事の難しさを分かってるから、1人を選んで、本を読んで。

自分に自信が無いから、人を信頼する事が出来なくて。

そして悩みを抱えてしまい、涙を流す。

 

抱きしめたい。

 

…心の声が漏れてしまいました。

 

モバメの時と同様に、今回も飛鳥ちゃんは涙を流しても本心は語ってくれませんでした。

 

今日はずっと飛鳥ちゃんの涙の訳を考えていたんですけど、正直分かりませんでした(ここまで書いといて)

 

人は糸ですから、飛鳥ちゃんが考えてる事は飛鳥ちゃんにしか分からないですからね(ここまで書いといて)

 

いつか飛鳥ちゃんに、悩みを打ち明けられる人が見つかればいいなって思ってます。

 

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選抜発表、見た人にも色々な感情が沸き起こったと思いますが、やっぱり選抜発表はスタジオ収録がいいですね。

日村さんの「生駒が中心にいるんだね」ってセリフは本当に胸に響きました。

 

生駒ちゃんのセンター辞退には賛否あると思いますが、「レコ大の次の大切なシングルを卒業ソングにして欲しくない」と言う彼女の言葉からは乃木坂の未来を考えてるんだなってのが伝わったし、今までずっと乃木坂の事を考えて活動してきた彼女の全てが詰まっているような気がしてとても素敵だなと思いました。

 

20枚目、乃木坂の勢いからしてみても凄く大切なシングルだと思います。

発表を受けてから考えてみると、その重圧を背負えるのは白石麻衣しかいないかなとも思います。

正直、彼女のセンターは卒業まで見れないと思っていたから凄く嬉しいです。

フロントに3期生、新しい21人のフォーメーション、ダンス、MV、今回も楽しみな事が多いです。

飛鳥ちゃんを与田ちゃんとなぁちゃんが挟んでる所がどんな風になるのかもとても楽しみです。

 

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長い上に内容の無いブログになってしまって申し訳ないです。

 

今日も飛鳥ちゃんが幸せな夢を見られますように。